
2017下半期総集編 ④墓編
いまこの国の、ひいては世界の「墓」事情は日々変容しています。むろん「終活」においても、それを考えることはたいへん重要です。
いまこの国の、ひいては世界の「墓」事情は日々変容しています。むろん「終活」においても、それを考えることはたいへん重要です。
たとえばご夫婦で共に鑑賞し、その後、少し話をする、といったようなコミュニケーションの可能性を持っているのが映画の特質です。
直接的に「死」を扱うものや民俗学的なもの、間接的に「終活」を考えることができそうなものなど、多種多様な本をご紹介してきました。
総集編第一回は「異文化編」。死において、異国との差異、あるいは同じところ、を知ることは、とても有意義なことでした。
「全ての装備を知恵に置き換えること」という言葉。そして覚束ないものではなく、確かで、そして切実な歩み。
はじめからわかっていたのですが、死を想う難しさについて考えることは、とても難しいことでした。
おどろくべきことに、コルソン・ホワイトヘッドの描く『地下鉄道』には、文字そのままに、地下を走る蒸気機関「地下鉄道」が登場します。
ある目的に向かう道すがら、目的とは別の発見などを偶然得ることを「セレンディピティ」といいます。
本質的には「仮想」であっても成り立つということを、理解はできても不安を拭えない人も多いのではないでしょうか。
この装置をどう思うか。それは、現在においてリアルな「終活」です。
時間が許す限り、幅広い視野・価値観を得る。そうした活動こそがいまの「終活」のあるべき姿なのかもしれません。
「終活」にこだわらず軽い気持ちで日記をはじめてみるのはいかがでしょうか。それはいずれ「終活」の助けとなってくれるはずです。
わたしたちは、大量の情報を毎日浴び続けている。それは、人類史上、間違いなくはじめてのことでしょう。
類稀なる「記録」のひとであった南方熊楠。その多面的魅力は記録の対象にあった。
死んだ人を思い出す時、それは自身にとって重要な記憶や思い出ばかり。これもまた「抽象化」なのかもしれません。
『機械仕掛けの愛』は、いま現在「終活」に取り組む人々の心に強く訴えかける作品だと思います。
「人間避雷針」と呼ばれた男、ロイ・サリヴァンの数奇な運命 – 後編
「人間避雷針」と呼ばれた男、ロイ・サリヴァンの数奇な運命 – 前編
「現在の終活のありかた」そこに一抹の不安やひっかかりを覚えていらっしゃる方がいれば、この本をおすすめします。
旅先でなにかあったら……、という思いがよぎったとき「縁起でもない」と考えず、簡単な意思表示をしておくことも現実的な「終活」です。