異文化から学ぶ「終活」①

「終活」という言葉が定着して久しいですが、自分の死とその後のことが気にかかりつつも、なかなか具体的な行動に出られない方も多いかと思います。
そこで、「そういった言葉があるのだから……」と、妙に何かをしなくてはならない気持ちになったり、「終活ノートを買ってはみたものの……」とお悩みの方にオススメしたいのが、異なる文化を持った人々の終活を知り、そこから自分にとっての「終活」を考えることです。
どんな場所に住み、いかなる文化を持とうとも、ひとしく対面するのが自分の最期。そのことから学んだり、考えるきっかけを得られることは少なくないでしょう。

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欧米の終活

そもそも海外のほとんどの国では、日本における「終活」のような考え方は一般化されていません。その大きな理由に、宗教との付き合いかたが挙げられます。

例えば、欧米諸国に多いキリスト教徒の方は、葬儀の形について頭を悩ませることはありません。キリスト教徒である以上、その方法は決まっているからです。
また、彼らは、宗教を通じて日常的に死とその後を考える習慣があるため、特別な「終活」がさほど必要とならないのです。

つまり、「終活」とは無宗教であることが一般的な日本特有の活動であり、自分の死とその後を考えるための、宗教の代わりとなるあたらしい方法なのかもしれません。
「終活」とは、そうした「あたらしい方法」ですから、迷ったり悩んでしまうのは当然のことです。
「どういったことを軸に、自分の死を考えれば良いのか……」
この大きな問題に、「そういった言葉があるのだから……」「ひとまず終活ノートを買ってみる」というようなアプローチで挑むのは困難です。では、どうすれば良いでしょうか。

日常から見つめる死

宗教を持っている方たちから学べることに、日常的に死を考える習慣が挙げられます。無宗教だと、具体的にそうしたことを日常の中で考えているという自覚はないかもしれません。ですが、これまで生きてきた日常の中に、自分の死とその後を考える軸があることは変わりありません。
形式に捉われるまえに、これまでに自分が大切にしてきたこと、また、死んだ後も大切にしたいと願うこと、そういったことを考え直すことが、自然と自分のための「終活」のスタートになるかもしれません。

「特別な活動」と考えず、これまで生きてきた中で培ったもの、それを見つめ直す時間だと考える——、それこそが「終活」なのだと捉えることができれば、自然とその一歩を踏み出せるのではないでしょうか。


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