古今東西、死のイメージ

「終活」において強く意識するのは、どうしても「死」の前後の期間についてだと思います。どのように死に、残されたひとびとにどのように弔われるか。
それらのことを想像し準備するのが「終活」のひとつの側面ですが、「死」そのものに対するイメージを整頓し、なにかしらの備えを持つことは可能でしょうか。
なんらかの信仰を持っている場合、その中で学ぶことも可能ですが、無宗教化の進む現在のこの国において、「死のイメージ」は移ろいやすく、また多様です。

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「死への畏れ」の具象化

「彼岸」という言葉が広く知られることからわかるように、日本では「死」を、「あの世」と「この世」の狭間として考える習俗が根強いです。
「彼岸」という言葉のもっとも古い記録は『日本後紀』ですが、「あの世」と「この世」という概念は『古事記』『日本書紀』にも記されており、「死」をその狭間と考える習慣は、この国で連綿と伝えられてきました。

火葬/土葬

ところで、日本では亡くなったひとを火葬することがほとんどです。これほど火葬が一般的な国は世界的に見ても稀有ですが、意外にも明治以降までは土葬が一般的でした。
葬送の形式に関しては、ここでは仔細を述べられないほど奥深いものです。ただ、「死のイメージ」を形成する大きな要因であると考えられますので、もう少し話を続けますと、欧米では火葬が増加傾向にあるとはいえ、主流となっているのはいまもなお土葬です。

幽霊/ゾンビ

日本と欧米における、火葬と土葬、その一般性の対比について述べましたが、筆者は、このことが「死への畏れ」の具象化に大きく作用しているのではないかと考えています。
というのも、死後が「あの世(彼岸)」であり、「この世(此岸)」と断絶されたものだという考えにおいては、「ゾンビ」という恐怖の形は生まれにくいように思えたからです。

「ゾンビ」について補足説明しますが、ここで述べている「ゾンビ」とは、昨今、映画やゲームのモチーフとして用いられることの多い「生ける屍」の形を指しています。
本来の「ゾンビ」の定義は、アフリカを発祥とした呪術的ルーツを持つ存在ですが、昨今においては、死してもなお墓から起き上がる、あのイメージが一般的でしょう。

「墓から起き上がる」、これは、火葬を行う文化においては、イメージしにくく感じられます。遺体をそのままの形で埋葬するからこそ、「死への畏れ」の具象化としての「ゾンビ」があるのではないでしょうか。

従って、これまで日本では「幽霊」が一般的な「死への畏れ」の具象化でした。また、今後もそうだろうと考えられます。

ですが、ここでもうひとつ取り上げたい「死のイメージ」が存在します。それは、ここ数十年の間に台頭したビデオゲーム・カルチャーに端を発する「リセット」のイメージです。

リセット

概要としては「死んだ次の瞬間に生前の姿で蘇り、自身の死のことも記憶している」というものです。「あの世」と「この世」の考え方で言えば、「あの世」へ行けない、つまり「死ぬことができない」という恐怖であり、欧米の考えから見れば、その恐怖に加えて、あたらしい形の「ゾンビ」でもあるのかもしれません。
また、「リセット」のイメージを得たことによって、火葬が主流のこの国においても、「ゾンビ」を受け入れる(死後のカタチとして、想像に難くない)土壌が出来たのだとも考えられます。

荒唐無稽であり、文化的背景を持たない「リセット」ですが、無宗教化が進む昨今においては、「幽霊」や「ゾンビ」以上に恐ろしく、またリアリティのある「死のイメージ」とも言えるでしょう。なにしろ、霊魂や宗教よりもビデオゲームの世界のほうが身近である場合が珍しくないのです。
筆者は、このことが「墓離れ」とも呼べる現状と無関係ではないと考えています。
もちろん、死んだ瞬間に、生がやり直されると信じているわけではない。ただ、そのイメージが「あの世」への移動よりも強く描けてしまっては、これまでこの国で連綿と続いてきた死生観が揺らいでしまうのも仕方がないように思えるのです。

「死のイメージ」から見える「生のイメージ」

このように、古今東西で「死のイメージ」は異なり、またこの数十年で新しいイメージが急速に一般性を持ちました。そうした混乱期の中で、「死のイメージ」をどう獲得するか。このことは難題に思えます。
ですが、「死への畏れ」が「死のイメージ」を多様化し、また逞しくしてきたことは悲観的なことではありません。なぜなら、それはいま現在の「生」を考えることでもあるからです。
「幽霊」「ゾンビ」「リセット」、おそらく誰もがどれになることも望まないでしょう。
こうした「死への畏れ」の具象化を考えることから、自分自身の、「安寧とともにある死のイメージ」を逆照射するように考えてみることも、「終活」へのアプローチのひとつとなるのではないでしょうか。