異文化から学ぶ「終活」③

魚は水のことを考えません
インディアンは死のことを考えません

日本人の共感を得やすく、また憧憬を感じる死生観として代表的なのがアメリカ・インディアンの死生観です。その文化に基づく言葉はもちろん、最近では、アメリカ・インディアンの聖地であるアリゾナ州のセドナがパワースポットとして注目されてもいます。

アメリカ・インディアンといってもその文化は地域によって多様ですし、アメリカ以外の土地にもインディアンの部族はいます。
彼らの言葉やイメージが一人歩きし「アメリカ・インディアンの死=素朴で特別ではないこと」という捉え方が定着しているからこそ、日本人は自分の文化を基にその言葉を消化し、親近感を抱いているのかもしれません。

ですが、上に引用した言葉から考えると、つまり彼らは「終活」という行為を否定しているとも言えます。「終活」は「死を考える」要素を多分に含んでいるからです。
では、アメリカ・インディアンの死生観から「終活」に関するヒントを得ることはできないのでしょうか。

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言葉に囚われない

アメリカ・インディアンの金言のようなものは、いくつもの書籍になっていますし、調べることは容易です。
ですので、ここではあえて、「言葉を探してしまう危うさ」を軸に、彼らから学びを得ることを目的としたいと思います。
良い悪いということではなく、人はついつい「ある言葉(ここでは、アメリカ・インディアンの金言を指します)」を、自分の中に持つ言葉を頼りに解釈し納得してしまうものです。それは「自分にとっての都合の良い言葉を探している行為」になってしまう危険性も孕んでいるのではないでしょうか。

死への旅の時間

そこで今回は、ある映画をご紹介したいと思います。
アメリカの映画監督ジム・ジャームッシュによる『デッドマン』です。1995年の作品で、主演は若き日のジョニーデップです。
モノクロで撮られた美しい映画で、セリフは少なく、また複雑なストーリーがあるわけではないので、映画の時間軸がそのままアメリカ・インディアンの死への旅を表現しているかのような映画です。

異文化を言葉に頼らずに描く

ジム・ジャームッシュ監督は『デッドマン』公開の4年後、『ゴースト・ドッグ』という映画を撮影します。こちらは、武士道に基づく書物『葉隠』に傾倒する黒人の殺し屋の物語です。
どちらも、アメリカ人である彼にとっては、異文化の死生観を描いたものでした。そして、それは多くの言葉ではなく、かれらの行動や表情によって描かれます。

一度、言葉から離れ、感覚を信じてみる

果たして、アメリカ・インディアンと日本人の死生観は似ているのでしょうか。確かに、『デッドマン』では、花/煙草/水/食物……、日本人から見ても葬いに適したと思える物が、そのための道具として現れます。ですから、そこに違和感は感じません。
ではなぜ、それらは葬いに適していると思えるのでしょうか。

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これらの映画を観ることから、言葉の制約から離れ、「死」というものを自分の感覚で再度考えてみるのはいかがでしょうか。
「言葉をヒントに言葉を求める」こととは違った、自分自身にとっての「終活」を見つけることを、そのことは助けてくれるかもしれません。