告別式のはじまり

「終活」への意識が高まるなか、昨今では様々な形態の葬儀が提案されています。
とりわけ注目されているのは、直葬に代表される簡素な形式のものでしょう。経済的にも時間的にも、なるべくコンパクトに収めた葬儀の形です。

以前の記事(異文化から学ぶ「終活」④)で、中国の葬儀が賑やかであることを述べました。
実は、日本においても葬儀がたいへん賑やかだった時代があります。それは明治中期頃で、そもそもいまにつながる葬儀の形が上流階級に端を発していたことや、それに伴いこの頃、葬儀社が誕生したことなどがその理由です。

ですが、この当時、まだ告別式はありませんでした。

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形骸化への警鐘

現在、経済的にも時間的にもコンパクトな葬儀が注目を集めていると先ほど述べました。
果たして、それは葬儀への意識の薄らぎでしょうか?
当然のことですが、「終活」への意識が高まるなか生まれた形式が、以前の葬儀よりも軽薄なものであるはずがありません。無宗教化に伴い、より良い葬儀を考えた時、それまでのものから形骸化されたものを取り払うのは積極的な姿勢です。

実は、告別式のはじまりも似た経緯を辿っています。

1901年、ルソーの『社会契約論』を翻訳したことで知られる中江兆民が亡くなりました。
兆民は生前、自身の死生観を書き記し、葬儀は行わず火葬だけを行うことと、解剖のための献体を遺言としました。
兆民の死に際し、遺言は守られます。しかし、著名な思想家であり政治家でもあった中江兆民の死に、なにも弔いの形を用意できないことは遺族や友人たちを困らせます。兆民の遺志は、彼の考えからはかけはなれた当時の荘厳な葬儀への批判となりましたが、そう簡単にはいかないのが慣習のもつ強い力でした。

そこで遺族や友人が考え出したのが、宗教性のない形での儀礼——、告別式でした。

引き算が作る新しいカタチ

告別式のはじまりを知ることは、現在の「終活」を考えるうえで示唆に富んでいます。
無宗教であるがゆえに、いままでのものよりもコンパクトに——、それが「死」に対する積極的な姿勢であることが伺える一方、それではおさまりの悪い遺された人々の姿もまたそこには表れていたからです。

結果的に中江兆民の死は告別式という新しい形の儀礼を生み出しました。
昨今の「終活」もまた、まだ見ぬ新しい葬儀の形を生み出すかもしれません。


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