異文化から学ぶ「終活」⑥ – 2

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埋蔵教の発見

「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)が広く知られ出したのは20世紀序盤であり、比較的最近のことです。
書かれたのは紀元8世紀から9世紀と言われていますが、当時は隠された経典でした。
というのも、チベットには、「必要な知識は、必要とされたとき必ず姿を現す」という言い伝えがあり、あえて教えを解いた経典を山深い洞窟などに隠す文化があったのです。そうして隠された経典は「埋蔵経」と呼ばれます。
「チベットの死者の書」は14世紀に一度発見されますが、その後また姿を消し、次に発見されたのが20世紀序盤、発見者はアメリカの人類学者エバンス・ヴェンツでした。
エバンス・ヴェンツは現地の人の協力のもと「チベットの死者の書」の翻訳を行い、1927年にはその翻訳がイギリスから出版されました。
この本に感激したのが著名な心理学者のユングであり、「バルドゥ・トェ・ドル」を「生涯の伴侶」とまで称します。

こうした数奇な運命を辿ったがゆえに、「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)は欧米で知られることになり、前項で述べたように「Bardo」というチベットの言葉が、アメリカのベストセラー作家の作品タイトルに付けられるまでとなったのです。

敗北としての「死」

異文化から学ぶ「終活」②」において、欧米における安楽死やターミナルケアの現状について述べました。
しかし、そうした思想が生まれる以前、命を救えないことは医学の、ひいては人類の叡智の失敗のように捉えられてきました。
そうした最中、リビング・ダイイング・プロジェクトという団体がアメリカに誕生します。この団体は、「チベットの死者の書」の教えを軸に、延命治療を拒んだエイズ患者や、末期のガン患者が死を避けるのではなく、向かいあいながら暮らせる施設を作ります。
これは、ターミナルケアの萌芽と言えるのではないでしょうか。
このように、間接的ながらも「チベットの死者の書」は、現代の死生観に大きな影響を与えています。

日本への影響

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ここまで、チベット仏教の西欧における影響について述べてきましたが、日本ではどうだったのでしょうか。
現在、60歳前後の方でしたら馴染みのある方も多いかもしれませんが、80年代に「ニュー・アカデミズム」という文化の潮流が生まれました。その中でも、代名詞となるような有名な著作が『構造と力』と『チベットのモーツァルト』。後者の著者である人類学者、中沢新一によって「チベット仏教」は当時、この国に広まりました。

『チベットのモーツァルト』は人文書としては異例のベストセラーとなったため、当時、流行の著作としてこの本を手に取られた方もいるかもしれません。ですが、それっきりという方も、また読んだことがないという方も、「終活」というチャンスを活かし、もう一度「チベット仏教」に触れてみるのはいかがでしょうか。そうした流れもまた、埋蔵教である「チベットの死者の書」にはふさわしいかと思います。

さて、ずいぶん前置きが長くなってしまいましたが、いよいよ事項から「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)の内容に迫りたいと思います。

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