異文化から学ぶ「終活」⑥ – 3

◀︎異文化から学ぶ「終活」⑥ – 1
◀︎異文化から学ぶ「終活」⑥ – 2


四十九日

「バルドゥ」の邦訳である「中陰」、つまり「四十九日」とは、仏教において、亡くなってから次の生を受けるまでの状態を指します。輪廻転生に基づく考え方ですが、無宗教化に伴い、葬儀そのものが簡素化している昨今の日本においては、廃れゆく文化と言えるかもしれません。

「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)は、死の直前から、死後四十九日にわたって読み聞かせるための経典です。
その目的は、端的に述べれば、輪廻転生の死生観に基づき、死者をより良い生まれ変わりへと導くことにあります。その意味では実用の書であり、また、読み聞かせるためのものであるため口語で書かれていること、読み聞かせの期間が「死の直前から」であることなどが興味深いです。

教えが輪廻転生に基づいているため、「終活」に含まれる「終」という文字や、エンディングという言い方など、終わりという点に向かってゆく思考とは異なる部分が多いですが、生前、どのような修行を積んでいたかによってどこまで読み聞かせる必要があるかが変わってくるところなどは、死のための準備の大切さを物語っており、「終活」を考えるうえで刺激となることもあるでしょう。

55f95ff3890de72b85c9a26c0d9abd54_s

死者の意識

ところで、「終活」においては自身の死後のことを考えることがとても大切です。葬儀のこと、墓のこと、遺産のこと、遺族のこと……。しかし、実際にそうしたことが問題となる時、自身は死んでいます。自身の死後、つまり自身が不在の時に起こるそれらのことをイメージする時、その視点はどのようにあるでしょうか。
大抵の場合は、定点の無い、自由に動くことのできるカメラのような視点をイメージするかと思います。実際のその時は自身がそこにいないため、生きている間に想像するとなれば、そのようにするしかないからです。
「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)は、口語でそうした視点——肉体を離れた死者の意識——への語りかけがおこなわれるため、非常に具体的かつ視覚的な内容が多く描かれています。肉体を離れ意識だけとなった死者に対し——あなたはいま遺族を見ていて、彼らの言葉は聞こえるが、自分が彼らに語りかけることはできない——というような、仔細な描写も登場します。

このような視覚的描写は、その死生観や思想を共有していないひとびとにとっても直感的ですし、共感を覚えやすいのではないでしょうか。
実際、「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)に描かれる光景は、臨死体験を経たひとが見たという光景、あるいはLSDがもたらす幻影と多くの共通項を持つ、というような報告から、文化の異なる西欧や、60年代、ヒッピー文化隆盛のアメリカにおいても受け入れられました。

「バルドゥ・トェ・ドル」を知る

「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)はいくつか翻訳されたものが出版されており、簡単に読むことができます。
ですが、幸いなことに視覚芸術の発達した現代においては、他にも「チベットの死者の書」に触れるためのものがいくつか存在します。

最後の項では、訳書を含め、「チベットの死者の書」(バルドゥ・トェ・ドル)を知るための作品をいくつかご紹介します。

異文化から学ぶ「終活」⑥ – 4▶︎