風葬と亀甲墓 – 沖縄の死生観

「亀甲墓」(かめこうばか/きっこうばか)とは沖縄に多く見られる形式の墓で、旅行などで現地を訪れ、海岸沿いなどで実物を見たことのあるかたも多いかと思います。
沖縄にはほとんどありませんが、一般的な墓の形としてイメージする「塔式墓」——、それとはずいぶんと形や大きさが違うため、事前にその存在を知らなかった場合、一見してそれを墓とは思わないでしょう。
「亀甲墓」を目にしたペリーが「最初私はそれを家かと思ったが、それは石灰岩の墳墓であった」と日記に記した逸話が残っています。

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風葬

「亀甲墓」のルーツを辿ると、その独特な形に葬送の形式が色濃く影響していることがわかります。その形式とは「風葬」です。
戦後、火葬が主流となりましたが、それ以前、沖縄では「風葬」が行われていました。
木棺を「亀甲墓」に安置し、その後、風化によって白骨化したものを遺族が海水や酒で洗い、厨子甕(ずしがめ)と呼ばれる骨壷に納めるのがその葬法でした。

ところで、以前、「チベットの死者の書」について述べたチベット仏教では「鳥葬」が行われます。
どちらも遺体を長期間かけ自然に還していますが、特に「チベットの死者の書」を用いた葬送を行う地域においては、ダライ・ラマ14世の言葉を借りれば——「草臥れた洋服を着替えるように」——新しくするものが肉体であり、「鳥葬」は輪廻転生に基づいた死生観から採られた、肉体に重きを置かない考え方でした。

「風葬」の場合はそれとは違い、沖縄に伝わる民間信仰に登場する理想郷ニライカナイへの魂の返還がその意味だと言われています。

独特の形状

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「亀甲墓」に関しては、あまり確かな情報が残されていないのですが、その形の起源は中国南部から伝わった「唐墓」にあると言われています。
また、一説には、亀の甲羅状の屋根で覆っている部分は胎内を模していると言われており、その死後は生まれたもとへと還ってゆくのだという思想の反映が垣間見えます。

元来、家族墓である「亀甲墓」ですが、昨今では火葬の普及に伴い、新たに建立されるものは、小型の亀甲墓であったり、また、骨壷が納められる程度の大きさのものであることが増えています。

葬送の形は変われどその墓の形が変わらないところからは、親しみある形状がもたらす安堵感を感じさせます。
昨今、「終活」においては、合理性などから形骸化した方法を省略した、経済的な葬送の形を多く目にします。ですが、「慣れ親しんだ」そのことがもたらす安寧も確かに存在します。
難しい問題ですが、ある側面では合理的に、しかし慣れ親しんだ形を存続させる葬送、墓の形もあるのだということを「亀甲墓」は教えてくれています。


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