異文化から学ぶ「終活」⑦

今回はメキシコの死生観から「死」を考えてみたいと思います。

メキシコを「死」という目線で見る時、その視線はいろいろな角度から向けることが可能ですし、そのどれもが興味深いです。
本稿ではおおまかにそのあたりを捉え、メキシコの死生観を感じていきたいと思います。

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死者の日

メキシコには「死者の日」と呼ばれる祝日があります。
現在のメキシコにはカトリック教徒が多く暮らしますが、それと同時にアステカ帝国の文化を引き継ぐこの国では、死を象徴するものが独自の発展を遂げています。

死者の日には、家族や友人達が故人への思いを馳せて語り合うために集います。日本の「お盆」によく似た供養のあり方ですが、日時はカトリック協会の祝日「諸聖人の日」である11月1日と翌2日にかけて行われます。日時的にハロウィーンと近いですが、そのルーツも近しいものがあり、なにより「死者の日」もまた、お祭りめいた賑やかな日となります。

低い自殺率

このように、故人を弔う日が賑やかであり、そのための装飾も色彩豊かなことから、メキシコの死生観は明るく陽気なものに感じられます。

メキシコは世界的にもっとも自殺率の低い国のひとつです。
その理由として大きなものは、住民の大半がカトリック教徒であるということがひとつ。カトリック教会は自殺を厳格に罪であると断じています。
また、アステカ帝国の影響を色濃く残すメキシコでは、アステカ文明の「死は、新たな生へと巡る過程のひとつ」という死生観が生きており、チベット仏教と同じく、「死」を逃避先、あるいは終わり、というように考えていないことも関係しているかもしれません。

高い犯罪率

メキシコにおいて、麻薬の問題は自国だけに止まらない非常に大きな社会問題となっています。
特に、メキシコ北部、アメリカと隣接したフアレスという都市は、一時期「戦争地帯を除くと世界で最も危険な都市」と呼ばれていました。殺人事件の大半は未調査に終わり、以前見たドキュメンタリー映画では、殺人事件のあった現場に、正義感の強い警官が駆けつけますが、現場が近づくと覆面をかぶっていました。警官といえど、顔がバレては危険だからだそうです。その警官の家族も「そんな危険な仕事は早くやめろ」と言うほどフアレスという都市は混乱していましたが、その理由に麻薬カクテルが軍隊なみに巨大化していることが挙げられます。

低い自殺率、高い犯罪率、明るく祝う死者の日。メキシコの死生観は異文化から見た時、非常にコントラストが強く困惑を覚えます。

ラテンアメリカ文学

こうした不思議を紐解くヒントのひとつに、メキシコをはじめ、中米や南米の作家の作品を称した「ラテンアメリカ文学」が挙げられるかと思います。
その大きな特徴に「マジックリアリズム」と呼ばれる技法があります。
これは、非現実的、日本やその他の文化圏においてはそう感じられるような現象を、日常的なリアリズムに落とし込む手法です。
例えばそれは死者などであり、特に呪術的なものがいまでも根付いている南米などでは、そうした感覚をファンタジーとして描くのではなく、日常の延長として描くことが可能であり、そのことがこうした技法を生んだと考えられています。

さきほど、「メキシコの死生観は異文化から見た時、非常にコントラストが強く感じられる」と述べましたが、むしろその逆であり、メキシコや中南米においては「死」が非常に身近で、かつ親しみのあるものだからこそ、そこでは平然と生死が繰り返されているのかもしれません。

強く生きるための死生観

このように、とても真似できない特殊な文化と社会情勢を持っているメキシコですが、そこから受け取ることができるのは、あっけらかんとした「死」への眼差しだけでしょうか。
もしかすれば、あっけらかんとして見えるその視線に隠されているのは、たとえば過去のスペインからの独立といった長く険しい道のり、そしていまもなお続く社会不安、そういった困難に負けないための処世術として生み出された死生観なのかもしれません。

「死」を「終わり」だと捉えないことは、実はたいへんに厳しく強い眼差しであるということを、メキシコの死生観は教えてくれているようです。