雷に七度打たれた男 – 後編

この記事は「雷に七度打たれた男 – 前編」の続きです。


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雷雲が追ってくる

彼は五度目の落雷被害の際、インタビューにこう答えました。

「私は、稲妻が雲から撃たれるのを実際に見ました」
「そして、まっすぐ、私のところへ来ていました」

そして六度目の際は、以下のように語りました。

雷雲が「自分を追っている」と想い、逃げようとしたが失敗した。

おそらく非科学的な発言であることは素人の筆者にも想像がつきますが、彼の数奇な運命を思うと、その発言内容もただの被害妄想には思えません。

一度の落雷被害に遭い一命をとりとめたのならば、もしかすれば「生きろ」というメッセージのように捉えることもできるかもしれません。
ですが、繰り返される落雷は——自分を追っている——、体中にやけどを負い、足の親指の爪を失ったロイ・サリヴァンにとっては暗殺者に狙われているような感覚だったのでしょう……。

落雷による心の傷

ここまで彼の落雷被害について述べてきましたが、ロイ・サリヴァンが、筆者にとって、冒頭で述べた——「死」、反転して「生」について考える時、頭をよぎる人物——である直接の理由は、その「人間避雷針」ぶりにあるわけではありません。

彼はインタビューで、「当然、人々は私を避けます」と語っています。
最後の落雷被害から6年後、彼は71歳でこの世を去りますが、それは自殺によってでした。
一説には失恋のショックによる自殺とも言われていますが、その真偽は不明です。

ほとんど無い人体への落雷。たった一度の落雷であっても、その半数以上のひとは命を落とします。それを七度体験したことは想像に難い不運です。ですが、それでも生き延びた。幸運なのか、不運なのか……。そして口にされた「当然、人々は私を避けます」という言葉。

雷雲がロイ・サリヴァンにもたらした最大の傷は、やけどや怪我ではなく心の傷だったように思えます。

パークレンジャーとして広大な自然のなか空を見上げ、雷雲に追われながら死と生について意識し続けた男のほんとうの悲しみが、自身に非の無い理由でひとびとが遠ざかっていくことだったことを思うと、筆者はつい言葉を失ってしまいます……。

生きているのか、生かされているのか。幸せとは。孤独とは。
いまとなっては彼に死生観を訊ねることは叶いませんが、彼の人生を想うことは、筆者にとって「生きること」や「死ぬこと」、「幸福」や「不運」といった簡単に捉えられないことを考える機会となります。

その数奇な運命と最期から、笑い話のように捉えられがちなロイ・サリヴァンですが、その人生を想像することで、自身の死生観を問い直してみるのはいかがでしょうか。