南方熊楠・記録のひと – 前編

南方熊楠が生誕150周年ということで、12月の中旬より上野の国立科学博物館で記念企画展が催されます。

南方熊楠というひとは不思議で、偉人としてキャッチーななにか(例:野口英世・黄熱病の研究者、夏目漱石・『吾輩は猫である』の著者、など)があるわけではないのですが、何年かおきにブームがやってきてはまたあらたな一面から語られる、ということを繰り返しています。

写真を多く残しており、美男子であったことや、豪快かつ真偽の不確かな逸話が多く残されているのもまた、ひとびとを惹きつけるのかもしれません。

今回はそんな(南方)熊楠を、終盤には以前記事でも触れた「樹木葬」と交えつつご紹介したいと思います。

kumagusu

クマグスとは?

上で述べた「熊楠には偉人としてキャッチーななにかがない」ということが、実は熊楠の人気を作っているのかもしれません。
というのも、その広大な関心の範囲と仕事量はいつの時代の要請にも応えられるほど量質ともに十分で、代名詞が与えられなかったことで、彼は幾度となくその姿を変化させてきました。

たとえば来月からの国立科学博物館での展示は、「情報提供者」という側面から熊楠を照射するのが目的のようです。
これは、熊楠が類稀なる「記録」のひとであることや、語学に優れていたことなどに注目した語り口といえるでしょう。

一般的に熊楠は民俗学者や生物学者として認識される場合が多い人物ですが、それは、昭和天皇に菌類の標本を進献したというエピソードや、神社合祀反対運動などが、彼の社会的業績として比較的有名だからでしょう。

ですが、「記録」のひとである側面が熊楠を知るうえでは非常に大切で、「記録」という行為事態が学問にはならないため多くは語られませんが、彼の「記録」の対象は民俗学、生物学の枠をはるかに超え、多岐にわたっていました。

記録のひと

熊楠が記録したものとして有名なものに、20代後半、ロンドンの大英博物館に連日通い様々な学問書を書き記した「ロンドン抜書」が挙げられます。
この抜書はノート52冊、一万頁に及ぶもので、当時の熊楠は連日5〜7時間、この抜書の制作に時間を費やしていたそうです。熊楠の直筆のものは「ロンドン抜書」を含め、多数残されていますが、その筆致はどれも細かく神経質で、それが一万頁に及ぶというのは尋常ではありません。

また、熊楠は1885年から1941年まで日記を記していますが、その最晩年のものには、走り書きのアラビア数字が見られます。これは、翌日あらためてではなく、自身の就寝時刻を記録したものと考えられていて、その記録の対象が、われわれの考える有用無用を超えて、森羅万象に及ぶことがわかり、なかば呆れてしまいます。

また、写真が多く残されているのも、「記録」のひとならではないでしょうか。


南方熊楠・記録のひと – 後編」に続く