日記のススメ

みなさんは現在、日記を付けていますか?

昨今はすっかりソーシャルメディアが普及し、フェイスブックやツイッター、インスタグラムなどを日記代わりとして利用されている方も多いかもしれません。
少し前でしたら、ブログを日記として利用していた方もいたでしょう。

以前、「「抽象化」を楽しむ」という記事を載せました。
そこで、ポーカーゲームで人間に挑む人工知能が、戦略のための計算を可能とするために、戦局を「抽象化」したという話を述べました。
日記もそれに似たところがあるとは思わないでしょうか。
つまり、「日記を付ける」ということは、日常の様々な事象をすべて把握し記憶することは難しいため、その日その日ごとの重要なことを抜き出す(=抽象化する)ことで、自分の価値観や暮らしを見つめる作業と言えるのではないでしょうか。

今回は、それ自体が「終活」となり得る、日記のススメを記したいと思います。

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日記の歴史

基本的に著者自身のためのものである日記ですが、古いものの多くは重要な史料となっています。
日本は古い日記が多く残されている国であり、記録に残る最古のものは「日本書紀」の一部である遣唐使の航海日誌(ただ、これは内容的に個人的なものではないとの見解もあります)。
他にも有名なものとして「土佐日記」や「更級日記」などが挙げられます。

また、世界的に有名な日記として「アンネの日記」が思い当たりますが、こちらは文学作品としての側面のほうが強く、同様に文学作品としてとらえられている日記は他にも数多く存在します。
近代日本では、武田百合子の「富士日記」などが代表例でしょうか。

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「抽象化」と相反する作業として、先日紹介した南方熊楠(南方熊楠・記録のひと)がいます。彼の作業は全てを書き記す勢いで、まるで世界を書きとめようとしているかのようでした。このこと自体は常人には真似のできないことですが、そうした作業の果てに残った彼の偉業もまた、「終活」を考える材料となりますので、ぜひお読みください。
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また、現代においても、ブログが書籍化されたりと、個人の記録という枠を越え広まるものは後を絶ちません。

紙のススメ

もちろん形式は自由ですが、「終活」を意識して日記を勧めるとすれば、それは紙媒体が良いのではないでしょうか。
というのも、他者の目に触れる前提のものでは、どうしても書く内容に制限が生じます。
「終活」を意識した時、その内容はなるべく内省的であり他人には見せない前提であるほうが良いと筆者は考えています。

たとえば、遺言書の草稿。死生観のうつろい。死への恐怖。そうしたものを記す。
「死」にまつわるあれこれは、どれも捉えどころがなく巨大です。だからこそ「抽象化」が有効なのであり、ある意味では社会性からも距離を取っているのが好ましいでしょう。
そしてそららの記述の変遷は、自身にとって大きな「終活」の指標となると思います。

終わりに

日記といえば、「三日坊主」の代名詞的な側面があります。継続とは難しいことです。気構えて「五年日記」や「十年日記」を準備したものの……、ということもあるかもしれません。
ですが、継続のための試行錯誤の筆致もまた、自身を省みることになります。

新年を控えたいま、「終活」にこだわらず軽い気持ちで日記をはじめてみるのはいかがでしょうか。きっとそれは、いずれ「終活」の助けとなってくれるはずです。