「積極的」安楽死の問題

以前、「異文化から学ぶ「終活」②」において、「安楽死」について触れました。
上記の記事では、「医療と死」というテーマに沿って、「消極的」安楽死(日本では「尊厳死」という言葉で議論されている考え方)を主軸に述べましたが、今回は「積極的」安楽死について考えてみたいと思います。

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安楽死の合法化の流れ

今月29日(2017年11月29日)、オーストラリアのビクトリア州において、(積極的)安楽死を合法化する法案が可決されました。
2019年6月から施行される同州の法案の概要は以下のようなものです。

同州に1年以上住んでいる18歳以上で、余命半年以内の宣告を受けている末期患者である場合、認められる可能性がある。
認可後は、可能であれば患者が自ら致死量の薬物を投与する。不可能な場合は医師による投薬が認められる。

21世紀初頭にベルギーやオランダでは「安楽死法」という法案が可決されました。
その後、特にここ数年ですが、アメリカのいくつかの州、また欧米以外の国であるカナダ、コロンビアでの「積極的」安楽死の法案化がありました。
今年2017年は、上で述べたオーストラリア・ビクトリア州での法案化、また韓国では「消極的」安楽死が試験的に導入されています。

加速する「死」の議論

2010年代に入り、安楽死の合法化の流れは加速しています。
その理由として、複合的な背景が考えられます。

まず、医療の問題。
「終活マガジン」では何度か扱ってきましたが、医療の発達がもたらしたアイロニカルともいえる事態です。

次に、宗教の問題。
端的に述べれば、無宗教化が広まり、「死」というものが「個人」の所有物となりつつある流れです。
宗教においては、たいていの場合「死」を扱うのはそれぞれの「神」ですが、そうした存在が不在となった時、「死」の決定権が「医療」に移りつつあることへの疑問の提示として「自らの死」を考え始めたのだと考えられます。

最後に、経済の問題。
厳しい問題ですが、医療によって生を引き延ばすのには多額の費用がかかる現状において、社会福祉によっては「経済」の問題から「安楽死」を考える必要があることも目をそらせない事態です。

「終活」と「安楽死」

現状、日本では「安楽死」は法案化されておらず、限られた場合における「延命治療の拒否」のみが認められています。
ですが、今後、自らが選択できる「自らの死」の幅が広まることは難しい予想ではありませんし、そうした展開を左右するのはいまの「終活」のあり方に他ならないかもしれません。

大局的に見れば、自分自身の「死」のみではない——今後のこの国の「死」のあり方——、その指針に影響するともいえる昨今の「終活」。
時間が許す限り、幅広い視野・価値観を得てから臨むのが理想的ですし、そうした活動こそがいまの「終活」のあるべき姿なのでしょう。