神は細部に宿る

先日、「死を想う難しさ」という情けない小文を記しましたが、そこで覚束なく述べていたことを少しでも身近に引っ張りよせるためにと、ある探検家であり写真家でもある作家のエッセイを手にしました。

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石川直樹『全ての装備を知恵に置き換えること』がそれです。

気になるのはその表題。いったいどういうことなのでしょうか。

道具と想像力

石川直樹は23歳の若さで北極点から南極点までを人力で踏破し、24歳で七大陸の最高峰に登頂した、1977年生まれの若い探検家です。
数々の生命の危機に面したであろう著者の文章の中でも、特に気になったのはその道具への視線です。

極限状態の自然に臨むひとにとって、道具と想像力は欠かせないものです。
数多の危機を想像し、道具を備える。しかし、その道具を持ちすぎると荷物が増えかえって危険である。
この狭間を知恵と経験で選び取り、まだ誰も経験したことがないことに挑む。

筆者がこのことから連想したのが、「神は細部に宿る」という言葉でした。

神は細部に宿る

兼ねてからいまひとつ意味を掴みきれないと思っていた言葉ですが、あらためて調べてみると建築方面から表れた言葉だったようです。
芸術方面で多様されている印象があったため少し意外でした。

さて、この言葉。
要するに「細かい部分、ディティールが大切」というだけのことなのに、なにを大げさな、と筆者は思っていました。

ですが、極限状態を探検する探検家を想像したとき、たとえばたった半日分の食料が生死を分けるかもしれない。
そう考えると「神は細部に宿る」という言葉が腑に落ちました。
まさに、準備段階における僅かな判断の違いが、神の審判を分かつのですから。

日常への想像力

やはり「死を想う」ことにおいて最重要なのは、日常への想像力にあると再認識しました。

前述の「全ての装備を知恵に置き換えること」という言葉。
これは著者である石川直樹が、登山道具のブランドである「パタゴニア」の創業者との会話の中で感じたことでした。

その言葉が意味する思想とは「最終的には体ひとつでの探検が理想であり、全ての装備は知恵に置き換えるべき」というもの。
つまり、道具を無くしてしまおうという着想で道具を作るため、「それでも必要である」という極限の機能とデザインを「パタゴニア」の製品は備えているとのこと。

われわれが「死を想う」にあたっても、やはり重要なのはいちばん身近な事象——日常——を見つめることにあるでしょう。

「終活」にまつわる情報は増える一方です。そして選択肢も。

ですが、考えることで、つまり「知恵に置き換えること」で間に合うことはたくさんあります。
それでも不足だと感じた時、ひとは情報を求め行動を起こすでしょう。

その歩みは、きっと覚束ないものではなく、確かで、そして切実なはずです。