待ちながら…

これまで「終活マガジン」では、本や映画、音楽などを多数ご紹介してきました。

さて、忘れてはならないのが、「演劇」です。
ヨーロッパでは毎週どこかであたらしいお芝居が観られる環境が整っている場所も多いですが、日本ではあまりメジャーな芸術ではないかもしれません。
歌舞伎や能といった伝統文化もまた「演劇」の一種と考えられますが、今回はひとつ、海外の著名な演劇作品をご紹介します。

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ゴドーを待ちながら

みなさんは『ゴドーを待ちながら』という戯曲をご存知でしょうか?
サミュエル・ベケットによるこの本が初めて舞台にあがったのは、1953年。パリでのことでした。

サミュエル・ベケットという作家は、ノーベル文学賞を受賞しており、また、『ゴドーを待ちながら』は『ハムレット』と並ぶ、あるいはそれ以上とも言われる現代演劇の傑作です。
もちろん、日本でもなんども上演されてきましたが、『ハムレット』と比すればずいぶんとマイナーな気もします。なぜでしょうか?

考えられるのは、この戯曲のあらすじ。
田舎道に一本の木。二人の男。かれらはただ「ゴドー」を待っている。
それだけなのです!

華やかさのカケラもないこの戯曲は、あらすじからわかる通り、主に会話で進行していきます。
そして、そこに散りばめられるのは、キリスト教的神話。
一般的に、「ゴドー」とは「ゴッド」のもじりだと解釈されています。
つまり、「神」をただただ待つふたりの男は、ひとの一生の空虚や滑稽を描いているのかもしれませんが、宗教的にもあまり馴染みがないこともまた、マイナーな理由かもしれません。

演劇の魅力

ベケットという作家の戯曲は、不条理劇とも呼ばれます。
その名のとおり、不条理が満ちているからです。

ですが、演劇においてはそうした不条理が魅力となる場合があります。

たとえば、小説や映画。論理の破綻や、展開の強引さは作品の瑕疵と判断されるでしょう。
しかし、演劇は、われわれ観客の目の前で起きている。つまり、その瞬間、論理的でなくとも、不条理であろうとも、「確かに…」と納得させられるものが演じられれば、それで成立してしまうのです。

思えば、ひとの一生とは、論理的でなければ、不条理に満ち満ちている。
『ゴドーを待ちながら』は、そうした本質を、派手さではなく、淡々とした会話や出来事から鮮やかに描き出しました。
たとえ馴染みのない神話や地味な展開であっても、本質の部分で強く共感するものがあるはずです。

演劇という「体験」

昨今、にわかに「体験」が注目されています。
物が売れず、ひとびとは「体験」に対価を支払うようになりつつある。

そうした背景には、情報と物の氾濫による価値の均一化があるかもしれません。
つまり、どれもこれも、ひとが持っているものと変わらない。自分だけのものが欲しい。

そうした視線から考えた時、「演劇」は紛れもない「体験」です。
小説や映画のように、みながみな、同じものを鑑賞することはできません。
その日その時、その場所で演じられる芝居は一度きり。

だからこそ、小説や映画では得られない感動や衝撃があるかもしれません。
本や映画、音楽以上に鑑賞のハードルが高いぶん、強い記憶として残ることも期待できます。

「終活」の糧となることは保証できませんが、時には『ゴドーを待ちながら』のような、優れた不条理を鑑賞することで、「死」や「終わり」を考える頭をやわらかく、いっそ考えるのではなく「体験」として浴びてしまうのも一興ではないでしょうか。