大都市東京 – 孤独死の問題

いま、日本では「孤独死」が増えています。

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今月はじめの記事「2025年問題と終末期医療」では、「空き家」の問題を取り上げましたが、子供や若い世代が同居していれば、その家を離れる必要はなかったはず。
つまり、都市から離れた場所で、高齢者のみで暮らすには不便が多いため、都市への移住が増えているということです。

その中でも、独身のかた、離婚を経験されたかた、そうでなくとも、夫婦ともに同じ時に死を迎えることは叶いません。
日本の大都市東京では、その人口密度の中、ひとり孤独に死を迎え、長期間その遺体が発見されないという出来事が増えているそうです。

「自分」では解決できない

あたりまえですが、「自分」の「死」を、自分で弔うことはできません。
ある意味、残酷かもしれませんが、「孤独」に死のうとも、その後のことは自分以外のひとにまかせるほかない。

現在、この国での「孤独死」を迎え、数日から数週間発見されずにいる人の数を、専門家は全国で年間約3万人と推定しています。
「2025年問題」を思えば、おそらくこの数は今後、増加の一途をたどるでしょう。

セーフティネットの未整備

この問題の解決策はシンプルで、それゆえに深刻です。
つまり、「孤独死」のセーフティネットが整備されるほか、解決できない問題だということです。

本質的なことを述べるには若干のためらいもありますが、いまこの国は、「死の数」に生きているものが対応しきれていません。
それが「多死社会」とも称されるこの国の現状です。

「終活」が先導できるか

「終活」という言葉が一般化し、いまではほとんどの人がその意味を知っています。
そうした中、産業もそれに応答し、ひとつの大きな流れになっていることは確かです。

産業が拡大すれば、サービスの多様化が生まれ、政府の対応の幅も広がりを見せるでしょう。

「終活」とは、それぞれのパーソナルな「死」に対応するための活動です。
しかし、そうしたことがおおきな流れを生み出し、行き届いたケアが可能になれば、「終活」の意義はさらに広がりを期待できるでしょう。