「玄冬(げんとう)」を想う②

「玄冬(げんとう)」を想う①

さて、前回は「玄冬(げんとう)」という言葉についてお話ししました。
今回はそれを引き継ぎ、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』の具体的な内容に触れていきたいと思います。

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あらすじ

『おらおらでひとりいぐも』の主人公、つまり「ひとりいぐ」「おら」とは、「桃子さん」のことです。

74歳の「桃子さん」は、都市近郊の新興住宅でひとりぐらし。ふたりの子供とは疎遠で、夫には先立たれてしまいました。
東北にある故郷を捨てたはもう半世紀も前のこと。
それなのに、ある時とつぜん、「桃子さん」の内側からは東北弁のさまざまな声が溢れてきます。
そのほとんどは過去のこと。そして、自分のこと。

あくまでも溢れる声は「桃子さん」の内側からで、それは外に発せられません。
つまり、外側から見れば、74歳の「桃子さん」がひとり茶をすすり、ほんの少し外出するだけの物語です。

東北弁がもたらすグルーヴ

では、この小説の魅力は何なのか?

ひとつは、文章そのものといえるでしょう。
東北弁による内なる声が作り出すグルーヴは、外側から見れば、老人がひとり茶を飲んでいるだけとは思えない躍動感で過去の記憶や現在を往復します。
作品内でも言及がありましたが、それはまるでジャズのセッションのよう。
対照的な「内側の動」と「外側の静」。

身の動きのゆっくりな老人は、どこか心も常に平穏なのだろうと感じてはいませんでしたか?
肉体の老いに反比例し、蓄積、醸造された言葉たちの躍動は、「玄冬」が「青春」の変奏にほかならないことを示します。

そして辿り着く「春」

「桃子さん」は絶えず考える人です。そのことが彼女を苦しめ、そして救ってもきました。
喜びも、悲しみも、内側でジャズのセッションのように蠢くからです。

「あらすじ」で示した通り、なにか特別な事件が起こる小説ではありません。
しかし、その音楽的な言葉の連なりは、「桃子さん」を「玄冬」の先にある「春」へと導きます。

自由、孤独、死——それらを考え考えた「玄冬」の先に「春」を感じる。
「終活」に取り組むひとびとにとって、これほど力強い物語はないでしょう。

老いを偽らず、その先を見る。
「終活」という言葉に、静まりの気配しか感じられず躊躇されている方は、是非ともご一読ください。
そこには「老い」の力強さと「青春」のような瑞々しさが描かれています。