喜劇人の最期 – 後編

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不幸の中の公演

片足を切断する以前、エノケンは長男を結核で亡くしています。
しかし彼は、息子を看取った翌日、公演初日の舞台に立ちました。もちろん、観客は彼の息子の死を知っています。
その時の体験を、彼は自伝にこう記しています。

おかしなことをやればやるほど、場内がシーンとなってしまうのだった。どんなに気の利いたギャグも通用しないのである。泣き笑いとか悲喜劇というのは、こんな時かと、自分でもつくづく、喜劇俳優がお客に同情されたら、もうおしまいだと思った。

晩年の彼の口癖は、この時の体験によって生まれたのかもしれません。

彼はどんな時でも「喜劇人」として笑いを生み出したかった。それも、人生を賭するほどの強い思いで。
しかし、その思いが強まれば強まるほど、求めている「笑い」が遠ざかってゆく。

そうした裏腹な因果を背負った人たちだからこそ、喜劇人は魅力的で、また、翳りを隠しきれないのかもしれません。

「終活」は目的ではない

昭和45年、エノケンは65歳の生涯を閉じます。

戦時中、悲哀が街に溢れている時にもっとも輝き、その後の平和の中で、追えば追うほど笑いがとおざかっていった喜劇王の生涯。

「正しい晩年の過ごし方」など無いと思いますし、彼にとってはそれで良かった晩年なのかもしれません。
ただ、きっと彼からすれば、その最期ですら笑って欲しかったのではないでしょうか。
そう考えた時、「晩年の過ごし方」「終わりの迎え方」「終活」、そうしたものの難しさを強く感じます。

教訓めいた物言いになってしまいますが、喜劇王の最期を想った時、「理想的な最期」を追い求める「終活」もまた、理想を遠ざける「終活」になり得るのではないか、と筆者はふと感じてしまいました。

「終活」は目的でなく、あくまでも手段である。
昨今の、盛況を見せる「終活ビジネス」の渦中、一度立ち止まり、自身の「終活」を見直してみるのもひとつの手立てかもしれません。