シリーズ – フェミニズムから見る終活③

◀︎シリーズ – フェミニズムから見る終活②

前回は、「第四波フェミニズム」の特殊性と、日本における影響力の強さについて言及しました。
第三回では、それらの具体的影響について考えていきます。

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男性の孤独死

「孤独死」に関して、当サイトではなんどか取り上げました。
大都市東京 – 孤独死の問題
がその代表です。

さて、「孤独死」と聞いてイメージするのは、なんとなく「男性」ではないでしょうか。
これは一種の偏見かもしれませんが、実際、その七割は「男性」だといいます。

「玄冬(げんとう)」を想う」という記事で取り上げた小説、若竹千佐子『おらおらでひとりいぐも』は、夫に先立たれた女性の話でした。
そしてそこに描かれていたのは、孤独となりながらもなお、「おらおらでひとりいぐも」という言葉に象徴される、力強い生のエネルギーでした。

筆者は男性ですが、こうした孤独や、逆境のようなものに対して、男性のほうが脆弱だと感じることはままあります。
言い方を換えれば、女性のほうがそうした時に力強い。

悲観的な想像ですが、このまま「熟年離婚」が加速してゆけば、女性たちは手を取り合うかもしれませんが、男性たちはより孤独を深め、早々に亡くなってゆくかもしれません……。

2025年問題への影響

以前、「2025年問題と終末期医療」という記事を記しました。

「2025年問題」とは、約800万人いるとされる団塊の世代が後期高齢者となる年であり、日本の社会保障のあり方が根本から問われることになるであろうという予見から提言されている問題です。

こうした問題にも、「第四波フェミニズム」は影響を及ぼすのではないでしょうか。

というのも、第四波における「#MeToo」がそうですが、フェミニズムにおいて、いつも女性たちは手を取り合い、一種の共同体を築くものもありました。

『メゾン・ド・ヒミコ』という邦画があります。2005年に公開された、犬童一心監督による作品です。
舞台となるのは、ゲイのための老人ホーム。そこでの人間模様を描いた秀作です。

前回、「第四波フェミニズム」に対し、“名称こそ「フェミニズム」ですが、すでに「女性」の権利の拡大拡張のみを謳う運動ではなく、社会によって矮小化されていた存在すべてが関わる運動となりつつあるのです”と述べました。

映画の中で、ゲイである彼らは、それぞれがマイノリティであることを軸に、時には優しく、時には赤裸々に相手を批判したり励ましたりします。
それは、実は異性愛者である男性同士では、なかなか実現しにくいことなのではないでしょうか。

というのも、多くの男性は慣習に沿って、当然のように「嫁」をもらい、「家庭」を築き、そしてそこを共同体とする——もっといえば、「そこだけ」を共同体とする——ように生きてきたと捉えることができるからです。

2025年、そうした男性たちが思い描く「共同体」は女性たちの声によって消えさり、「第四波フェミニズム」に賛同するひとびとだけが共同体を築くことに成功したとすれば、一つ前の見出しである「男性の孤独死」の今後は、火を見るよりもあきらかでしょう……。

幇助の時代

とにもかくにも、いろいろなことが限界を迎え、助け合うことが不可欠な時代です。

そんな中、意識的にそうせずとも生きてこられた人々が、考えを改めなければならないタイミング、それが「第四波フェミニズム」が勃興している理由のひとつの側面かもしれません。

それでは最後、第四回では、多様な側面を持つため単純な理解を拒む「第四波フェミニズム」を知るための、映画作品をふたつご紹介します。

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