自分らしく生きた祖父との想い出

終活はこれから旅立つ方の視点が多いですが、見送る側の気持ちも理解しておく必要もあります。
このカテゴリでは見送る側の気持ちを、様々な故人とのエピソードから覗いてみます。
今回はその第1回目。東京都K.Mさんのエピソードです。

 

 

私の祖父は今年の冬に亡くなりました。

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以前から肺を患っていたため、そのような日がくることは覚悟していたつもりでしたが、やはり動揺してしまったことを覚えています。

私は進学のため田舎を離れていたため、冬休みに実家に帰った際、まだ存命だった祖父に冗談めかして「じぃちゃんに何かあっても帰ってこられないかも。」と言ったのです。
すると祖父は笑いながら「もしテスト中なら、俺が死んでから会いに来い。」と返してきました。祖父はいつも自分のことよりも私の人生を優先して考えてくれる人でした。
この時はそれが現実になるとは思っていませんでした。もしかすると祖父には、ある種の予感があったのかもしれません。

私が病院に駆けつけた時には祖父はすでに帰らぬ人となっていました。

 

祖父と昔かわした約束に「俺が死んでも泣くな」というものがありました。

 

思えば随分一方的な約束です。しかし祖父は、その約束のために一つの準備をしてありました。
それは祖父の遺品の鞄を開けたときに見つかりました。それを見たとき私は思わず笑ってしまいました。
祖父は昔から物をあまり多くはもたない方でしたが、病にかかってからは身の回りの物を少しずつ整理しはじめていたようでした。
そのためもあってか、祖父の死後残っていたのはボストンバッグが一つと、山仕事に使っていた枝打ちが一振り、弓道の道具一式のみでした。
そしてバッグには「死後開けるように」と書かれた小さなメモが貼られていて、中には家族の名前が書かれた小さな箱がいくつか入っていました。
「形見分けって事だろうか?」と兄が呟いていました。

一番上の箱には「遺影用」と書かれていました。
どんな写真を選んだのだろうかと開けてみると、そこには満面の笑みを浮かべピースサインをしている祖父の姿がありました。葬式用の写真としては、あまりにも明るい表情でした。祖父が冗談好きだったことを思い出し私たち家族も大笑いでした。
「人生最後まで面白く」それが祖父のモットーでした。

その生き方を最後まで続けることができた祖父に尊敬の念を抱くと同時に、私はなんだかうらやましさを感じてしまうのでした。

 

そのとき私は多くの悩みを抱え、日々悶々と過ごしている時期でした。

祖父に悩みはあったのでしょうか?もしかすると祖父にとっては、その悩みですら人生の面白いことの一つだったのかもしれません。
思い出せば余命を宣告された時もあまり動揺していなかった気がします。

 

病にかかり入院した時、祖父は医師から「あと一年ほどだろう。」と宣告を受けていました。その時も「そろそろ言われるような気がしていた。」とあまり驚いた様子ではありませんでした。
それからの祖父は、今まで以上に活動的になったような気がします。
しばらく疎遠になっていた友人に会いに行ったり、遠くまで好きな食べ物を食べに行ったり、残された時間を全力で楽しんでいるようでした。

そして口癖のように「面白い人生だったな」と言っていました。
それを聞くたびに私は祖父との別れが近づいているような気がして複雑な思いを感じていました。

 

 

今考えると、祖父は最期まで自分らしく生きようと頑張っていたのかもしれません。
あるいは、思い残す事の無いようにやりたいことすべてを楽しんでいたのかもしれません。
葬式では祖父との約束を守り、涙を流しはしませんでした。
悲しみがこみあげてきても、目の前の写真を見ると、つい笑ってしまいそうになるのです。

祖父の友人も「あいつらしく、最期まで笑い顔だ。」と、遺影をみながら話していました。その様子を見ながら祖父
の人生は良いものだったのだろうと考えていました。

 

葬式が終わって少し落ち着いた後、祖父が私に遺した箱を開けてみました。
中身は「はず」と呼ばれる矢の後ろに付ける小さな部品でした. 一般的にはプラスッチック製ですが、祖父の物は、何か別の素材で作られていました。

 

 

そういえば昔、祖父の使う矢が格好良く見えて欲しい欲しいと騒いだことがありました。祖父はきっとそれを覚えていたのでしょう。
その時の私はすでに弓道をやめていたのですが、その小さな「はず」に私は祖父とのつながりを感じたのでした。
兄や弟の箱には何が入っていたのでしょうか?とても気になりましたが結局聞いてはいません。
特に理由は無いのですが、なんとなくお互いに知らない方が面白いような気がしたからです。

もしかすると、二人も同じ気持ちなのかもしれません。
誰も中身を教えあいませんでした。何年かたったら皆で見せあうのも楽しいかもしれません。
今の私は趣味のレベルですが、また弓道をやっています。
残念なことに体格の違いから祖父の遺した道具は使えませんでした。

 

しかし、祖父からもらった「はず」は私の矢に付けられています。もっとも、割れやすい部分なので壊してしまわないかヒヤヒヤしているのですが。
でも、そんな出来事も祖父からすれば人生の面白いことの一つなのだと思います。

 

 

私も人生を面白いと思えるような生き方をしたいと、祖父を思い出しながら考えるのでした。