お墓参りの重要性は年齢とともに自然と大きくなっていくもの

終活はこれから旅立つ方の視点が多いですが、見送る側の気持ちも理解しておく必要もあります。
このカテゴリでは見送る側の気持ちを、様々な故人とのエピソードから覗いてみます。
今回はその第9回目。東京都Y.Kさんのエピソードです。

 

 

お墓参りとは、先祖の供養です。

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先祖の供養は、生きている者にしかできない“心の問いかけ”だと解釈しています。
私は身近な家族を失うことでお墓参りに“心の問いかけ”を年齢を重ねるごとに強く感じるようになりました。
今では、休日になると心の中で「久しぶりにお墓参りに行かないと」という気持ちがどこかに湧いてくるのです。
そのような私ですが、若い頃は、お墓参りは年に1回行くか行かないか?程度の人間だったのです。

 

 

20代はお墓参りをしなかった。

私は生まれてから成人になるまで家族が亡くなることがなかったのです。
先祖のお墓も私の生まれる前に亡くなった祖父が眠っているだけでした。
祖父の他界は、私が生まれる前のことだったので子供の頃から「写真のおじいちゃん」という“遺影”での存在でしかなかったのです。
それだけに子供の頃は、父や母、祖母に連れられてお墓参りをしましたが、大人になって実家を離れた20代から、お墓参り自体を考えなくなりました。

つまり、お墓参りをすっかり忘れてしまっていたのです。
実家から遠く離れた都会で過ごすようになり、お墓参りに実家に帰ることさえなかった20代でした。

 

 

30代で身近な祖母を亡くしてお墓参りが増えた。

20代で先祖供養を怠っていた私は、30代半ば過ぎに祖母の死を体験しました。
子供の頃から面倒を見てくれた祖母が亡くなったのです。
“大好きなおばあちゃん”でした。
祖母は100歳を超える長寿でしたが、亡くなる前の5年間は、認知症の進行もあり、私自身の仕事の忙しさを理由に会いに行かなくなったのです。
私は、祖母に会いに行かなかった自分を責めて「おばあちゃんごめんよ。」と亡くなった祖母に申し訳ない気持ちで溢れてしまったのです。
その申し訳ない気持ちが、祖母の死後、お墓参りをすることに繋がりました。
せめて命日や、お彼岸など「おばあちゃんにお線香をあげに行こう」と思うようになりました。
祖母の死は、私にとって、先祖供養の気持ちの始まりなのかもしれません。

 

 

40代で父を亡くしてお墓参りに責任を感じた。

それでも私は、世間一般の墓参行事の日にお墓参りをする程度でした。
私のお墓参りの回数が増えた大きな変化は、40代後半で体験した父の死でした。
父の死は、突然死だったので遺言も死に目にも会うことができませんでした。
私が母から連絡を受けて駆け付けた時には、父は既に息を引き取っていました。

父を亡くした時に憔悴した母を見ながら、「俺がしっかりしないといけない」と痛感したのです。
母は、どこか頼りなかったので父亡きあとは、お墓参りを「お墓を守る」意識に変わった自分に気がつきました。
生前の父は、お墓参りを欠かさない人でした。
祖父の眠るお墓を建立したのも父だったので思い入れは強かったのでしょう。
無言で亡くなっていった父に「お墓のことは頼むぞ」と言われたような気にもなりました。

その頃から私は、お墓参りに責任のようなものを感じるようになったのです。
それは、お墓参りをしていない日常生活の中でも「明日、仕事が休みだけどお墓に行ってみようかな?」なんて思うようになってきたのです。

 

 

50代でお墓参りに意味を繋げるようになった。

50代になって、母も老人ホームでお世話になるようになり、お墓の守りができるのは、私だけになってきたのです。
先祖と子孫を繋ぐお墓は、私にとって特別な存在でした。
お墓参りではなく、お墓の維持という責任感を感じるようになってきたのです。
今までは「お墓参り」という感覚でしたが、「お墓の様子を見に行こう」とか、「お寺の行事」とか「檀家」とか意識が大きく変化していきました。
これも年齢による変化だと感じています。
人間は、年齢とともに先祖供養を重要視するようになるものですね。

 

 

お墓参りが年齢とともに大きくなった理由。

お墓参りが年齢とともに大きな意味になっていく理由は、先祖の供養が生きている者にしかできないことだからです。
子孫がいなければ、供養する生きている者がいなくなります。

当たり前のようなことを言いましたが、生きているからこそ亡くなった家族に対して、いろんな思惑を持てるのです。
「少し、お墓の手入れを怠ってしまったので最近調子が悪いなあ」
「お墓をきれいにできてよかった、気分がいい」
「懺悔ができるのはお墓の前だけだなあ」
このように勝手に先祖の前で思ったりするわけです。

そして、日常生活の中で起きる事象をすぐに先祖の気持ちと結びつけるようにもなってきました。
20代の頃は、お墓参りよりも自分の用事が優先だったのに、年齢を重ねることで私も亡き父のようにお墓参りを重視するようになったことを改めて実感しました。
お墓参りが年齢とともに大きくなった理由は、先祖への“心の問いかけ”で人生を半分以上生きてきた50代の自分を戒める人がいなくなったことでもあります。
人生の良きアドバイスを亡くなった家族に求める行動なんですね。