「死の象徴」はなぜ求められるのか

「死の象徴」と聞いて、あなたはなにを思い浮かべますか?

「墓」、「骸骨」、「幽霊」、「十字架」……。
もう少し間接的なものだと「カラス」や「黒猫」なども、不吉な——「死」を連想させるもの——とされています。

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以前、「カタチがあることの効用」という記事を掲載しました。
タイトル通り、形式的にでも「カタチ」を用意することで「考える」ことを補助できると考えたからです。

ところで「生の象徴」となると、あなたはなにを思い浮かべますか?

なぜ「死の象徴」は多様なのか

筆者は、「生の象徴」をしばらく考えてみましたが、これといったものを思い浮かべることができませんでした。
「死の象徴」であれば、上記のもの以外にもいくつか挙げられるのですが……。

たとえば「そら豆」。
「そら豆」は古代エジプトやローマで「死の象徴」とされていたようです。
理由は明確ではないのですが、エジプトやローマといった地中海沿岸の人々の中には遺伝的に「そら豆中毒」を起こすひとが少なからずおり、それが死を招いたことなどが原因ではないかと言われています。

さて、「シリーズ -「死を考える技法」入門③」では、哲学者であるハイデガーの著書『存在と時間』に登場する「本来性」「非本来性」という言葉をご紹介しました。
また、「シリーズ -「死を考える技法」入門④」では同様に「不安」という言葉を扱っています。

かいつまんで説明しますと、「不安」とは、自分が「死ぬ存在」であることにはたと思い当たった時に起こる状態です。そして、人とは本来「死ぬ存在」であるため、それは「本来性」を持った状態だということになります。

「不安」の大きな特徴は、対象がないことにあります。「不安」と同時に「恐れ」という言葉もご紹介しましたが、対象の有無によってこのふたつの言葉は分けることができるのです。

「不安」から逃れたい

人はみな「不安」から逃れたい。なんとか「死」を忘れたい。
そうした性質を「非本来性」と言いますが、ここに「死の象徴」が多様である理由が隠されているのではないかと筆者は考えました。

つまり、「幽霊が恐ろしい」「骸骨が恐ろしい」「カラスが恐ろしい」「そら豆が恐ろしい」——というように、対象を生み出すことで、それは「不安」ではなく「恐れ」と変換可能だからです。

「生の象徴」が思い浮かばない——筆者だけかもしれませんが——のは、「生」が「不安」をもたらさないからではないでしょうか。

余談に近いですが、「天国」よりも「地獄」のほうが、遥かにバラエティ豊かなイメージを持つことなども、こうしたことに起因するのかもしれません。

また、いくつかの宗教において「偶像崇拝」を禁じているのも、同様の手法で本質の理解から遠ざかっているからだと考えられます。

「終活」は免罪符?

いじわるな考え方をすれば——「終活」をしている——という意識は、「不安」から逃れるための免罪符になっているかもしれません。

葬儀のこと、墓のこと、遺産のこと……。やらなければいけないこと、考えなくてはいけないことはたくさんある。そしてそうこうしているうちに死を迎える。

場合によっては、「終活」もまた「死の象徴」となり得るかもしれません。