続・動物と死/動物の死

以前、「動物と死/動物の死」という記事を掲載しました。

そこで近年、急成長しているペット産業が抱える問題と、動物にとって「死」というものは存在するのか? という問いについて考えました。

今回は、手話のできるゴリラであるKokoの訃報から、再度「動物にとって「死」というものは存在するのか?」という問いについて考えてみたいと思います。

koko

koko

先月、手話を使うことのできるゴリラkokoの訃報がありました。46歳での死は、ゴリラにとって長寿だったとのことです。

さて、このkokoという名のゴリラ、なぜ手話を扱えたのでしょうか。

研究の一環

心理学者のペニー・パターソンによるプロジェクトの一部として、kokoは幼いころから手話を教えられました。その言葉の数は1000にもおよび、その長い生涯の中で、多種多様なコミュニケーションを行なったそうです。

ある時、kokoは猫の登場する絵本を楽しみ、手話を通じて「ペット」の猫を欲しがります。ぬいぐるみの猫を与えてみたものの、返事は「悲しい」。
その後、仔猫をプレゼントされたkokoは「オールボール」と名付け、たいへん可愛がったそうです。

上記の画像は、1985年、その様子がナショナルジオグラフィック誌の表紙になった時のものです。

「オールボールの死」

しかし、その約半年後、「オールボール」は研究施設近くの道路で車にはねられてしまい死んでしまいます。
それを伝えられたkokoは、しばらく研究者たちの言葉を拒み、その後、ゴリラが悲しむ時に発する特徴的な鳴き声を出し始めたのだそうです。

そしてその後、手話で「おやすみ オールボール」と語ったのだそうです。

「自身の死」

このような経験は、当然ながら野生の動物にはできないものです。
しかし、kokoのように手話を教わり、飼い猫の「死」を経験していれば、おそらく「自身の死」というものも理解していたのではないでしょうか。

生前、研究者に「動物は死んだらどこに行くのか?」と問われた時、kokoは「心地いい穴の中」と答えたとのこと。

kokoは、眠ったまま最期を迎えたといいます。
kokoは死をおそれたのでしょうか。それとも、ただ自然のこととして受け入れたのでしょうか。

kokoの死は、「動物と死/動物の死」について、あらためて考えさせる契機を与えてくれました。