ビデオゲームとエンディング③

今回も、前回に引き続き、ビデオゲームの多くが避けて通れない「繰り返される「死」」というテーマについて考えていきたいと思います。

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ゾンビという「死のカタチ」

ゾンビとは元来、ブードゥー教に代表される西アフリカの民間信仰において「目に見えない、不思議な力を持つもの」として扱われていました。

ですが、いま、ゾンビというと、唸り声を挙げる動く屍をイメージするのではないでしょうか。

1968年、昨年惜しまれつつ亡くなったゾンビ映画の巨匠、ジョージ・A・ロメロ監督によってアメリカ映画『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』が作られました。
いま、われわれの多くが連想する「ゾンビ像」を生み出したのは、この映画に他なりません。

それは「目に見える、恐怖をもたらす死のカタチ」です。

こうした「ゾンビ像」が生み出された背景には、当時の時代背景なども大きく影響しているでしょう。
たとえば、冷戦の最中、いつ訪れるかわからない大混乱や死の恐怖を映画は視覚的に描く必要があった。
そしてその必要性はいまもなお引き継がれ、……むしろよりその必要性は増し、ゾンビはかつてより強く、そしてより多くの人々に認知されていると言えるのではないでしょうか。

こうした「死のカタチ」のグローバリゼーションは、各地に信仰などを軸にして存在したそれぞれの「死のカタチ」——たとえば霊魂や幽霊——よりも、より近代的でリアリティのある「死のカタチ」であり、かつそれが人為的なものである、という悲しい現実を背景にしているように筆者には思えてなりません……。

ビデオゲームにおける「ゾンビ」の需要

さて、ビデオゲームの多くはストーリーを持ち、戦う動機と敵を必要とします。
前回の記事で取り上げた「スーパーマリオブラザーズ」においては、クッパという名の魔王とその手下が敵であり、戦う動機はさらわれたピーチ姫の救出です。
ところで、マリオとルイージは配管工です。
なぜ建築業種に就く兄弟がそんなことに巻き込まれているのかまでは筆者の知識不足でわかりかねますが、ともかくそこには戦う動機と敵が存在します。

しかし、昔の戦隊モノやアニメーションのように、わかりやすい悪の枢軸を登場させるのは、昨今の進化したグラフィックを持つビデオゲームにおいては、少々拙いストーリーと感じられることも増えました。
そこで目をつけられたのが「ゾンビ」です。

それは「目に見える、恐怖をもたらす死のカタチ」です。

「繰り返される「死」」と向かいあうことの増えたビデオゲームにおいて、ゾンビは戦う動機と敵のふたつを同時に提供してくれる、非常に優れた存在と言えるでしょう。

「不安」と「恐れ」

ところで、「シリーズ-「 死を考える技法」入門④」という記事では、ハイデガー『存在と時間』に登場する「不安」と「恐れ」について解説しました。

このふたつの言葉については、先の記事を参照してもらうとして、ここでひとつ考えたいことがあります。

「死ぬ」ことと「ゾンビになる」こと、どちらが怖いでしょうか?

実はこの問いには、「不安」のもつ本来性を(本来性、非本来性については「シリーズ -「 死を考える技法」入門③」をご参照ください)歪め、「死」を非本来性の問題、つまり「恐れ」に変換してしまう作用があると筆者は考えました。

そのこともまた、「ゾンビ」が広く受け入れられた背景なのかもしれません。

さて、次の記事では、「終活」を考えるうえで何度か参考としてきた北欧諸国とビデオゲームの関係について言及したいと思います。
実は、北欧は現在のビデオゲーム業界でもっとも活発かつ影響力のある土地なのです。

いったい、なぜなのでしょうか。
そして北欧諸国が「ターミナルケア先進国」であることとそのことは無関係なのでしょうか。