息子への手紙

今日は、写真家であり狩猟家でもある幡野広志さんの著書『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる。』をご紹介します。

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この本は、著者である幡野さんが多発性骨髄腫の発症と3年という余命宣告を受け、まだ幼い子どもに残せるものは何だろうかと考えたその軌跡であり、同時に残そうとしたものそのものでもあります。

『ぼくが子どものころ、ほしかった親になる』は、幡野さんからの、彼の息子への手紙なのです。

写真/狩猟/ガン

末期ガンについては言わずもがなですが、写真と狩猟にはどちらにも「死」との深い関係性が感じられます。
「それまで」があり「その後」があるはずの光景を「その瞬間」だけの形にする「写真」。そして命を奪い、自身の命の糧とする「狩猟」。

そのふたつをライフワークとし、さらに「余命宣告」を受けた著者はいったいどのような「死生観」を語るのだろうか。
筆者はそのような期待で本書を手にしましたが、そこに書かれていたのは哲学や思想ではなく、実用的な知恵でした。

前述のとおり、これは幡野さんからの彼の息子への手紙です。
そこには親という立場から息子へ伝えたい「生きるための知恵」が詰まっていました。

35歳の父

幡野さんは現在35歳です。
その決して長いとはいえない人生の中で得た経験と知恵がこの本には集約されていました。

「終活」と聞いて思い浮かぶものの代表に「エンディングノート」があります。
「遺書」とは少し趣が違うため、英語になっているのでしょう。

ですが、幡野さんが限られた時間の中、最初に記したものは「エンディングノート」ではなく「息子への手紙」でした。

本書を読んでわかるのは、著者がとても現実的かつ、複雑なことをなるべく飾らず平易に伝える技術の持ち主であるということ。そしてその背後にある優しさです。
そんな著者ですから、「エンディングノート」のようなものもすでに書き記しているのかもしれません。

とはいえ、彼自身もまだ若い。そしてその子どもは幼い。
その視線は緩やかな「終わり/エンディング」にではなく、強く「これから/息子」に向けられていました。

言葉を残す

自身の「死」を前に、子どもの未来を想い「言葉」を残す。それはとても難しいことだと思います。
ですが、この本はそのことの困難を感じさせません。
著者にははっきりと「残したい言葉」があり、そしてそのための術も心得ていたようです。

それほど読み切るのに時間のかかる本ではありませんし、そこに書かれていることもまったく難解ではありません。

冒頭で、写真と狩猟は、どちらも「死」との深い関係性を感じさせると述べました。
それはこの著書の中では前面に出ていません。
しかし、——自身の「死」を前に、「明快」な「言葉」を残すことができる——、このことは、日々、写真と狩猟によって「死」と向かい合ってきた著者だからこそできたことのように感じられました。

「何を残すか」

この本からそうしたことを考えるためのヒントも得られるかもしれません。
ですが、それよりも、筆者はこの若い著者から

「どう生きるか」

それを教えられた気がします。