「死」をめぐる現場の混乱

前回、「加速する「多死社会」を見据えて」という記事を掲載しました。

社会問題である「多死」への対応が後手であり続けているいま、「現代社会における死」というものを冷静に考える機会が失われつつあるのではないか? という危惧を基に執筆したものです。

今回は、そうした危惧が顕在しつつあることを、ふたつの事例を挙げてご紹介します。

0739e3ce9adaeb50009efb8659365088_s

蘇生拒否の問題

先ず救急現場です。
「多死社会」が訪れているいま、そこはこれまで以上に「死」と密接な現場となっていることでしょう。

そうした中、患者側から心肺蘇生を拒否する意思を示されたことのある消防本部が、全国の半数を上回ることが総務省の調査でわかりました。

拒否の理由はいくつかあるのでしょうが、おそらくは過去に掲載した「尊厳死」を扱った記事(「異文化から学ぶ「終活」②」「「積極的」安楽死の問題」)などで触れたことが大きく関係していると思われます。

ここで大きな問題として現場に立ちはだかっているのが規定の不備です。

消防法では救急搬送や心肺蘇生などを救急隊の業務と定めているものの、蘇生を拒否された際に関する規定はなく、現場での判断に混乱が生じているのです。

このことは、「終活」を行ってきた患者に対する影響はもちろん、その職務に就く人たちにも心的外傷を与えかねない問題であり早急な対応が求められます。

警察による自殺

次に「警察による自殺」という問題です。
こちらは、銃社会であるアメリカ特有の問題なのですが、その現状から考えるべきことは多々あると考え取り上げました。

内容を見ていきましょう。

端的に述べれば、「警察による自殺」という行為は——犯罪を起こした後、警官に射殺されることを意図して暴れる——という行為を示します。
実際、この行為は近年増加傾向にあるようです。

こうしたことを行う理由としては大きくふたつ。

犯罪を起こした後、警察を前に逃れられないと感じ、その後の服役などよりも「死」を選ぶというパターン。
そしてもうひとつが、そもそも「死」が目的であり、そのために罪を犯し、武器を持っていることなどをアピールすることによって「射殺されよう」とするパターンです。

さて、より大きな問題は後者にあるように感じられます。

後者においては、職務を全うしようとする警官たちはいわば自殺の幇助をさせられているようなものであり、さらに言えば、現実に起こっていることは「警察による犯人の射殺」です。
あえて警察に殺人を行なわされるその手口はたいへん身勝手で非道なものです。

実際、「警察による自殺」に巻き込まれた警官の中には心的外傷を抱えるひとも少なくないといいます。

こうした「死」を巡る二次被害とも呼べる状況は、大変悲痛です。

今後に向けて

「死」にまつわる職業は多岐に渡ります。

今後、加速する「多死社会」はそうした職業従事者すべてに大きな負担をかけることになるでしょう。
さらに、特に重大な問題は「生死の境い目」に居合わせる職業のひとびとに降りかかるのではないでしょうか。

上のふたつの事例は、どちらもそうした職務をおこなう人にその被害が及んでいる実例と言えます。

現代社会は、こうした現場の状況をよく観察し、そしてそこからの声を汲み問題の解決に勤める必要があります。

ですが、どうしても今後、予期せぬ状況は幾度となく訪れるでしょう。

そうした時の咄嗟の対応にこそ「死生観」についての日々の考察は生きるのであり、それは困難な道ではありますが、われわれは常に両義的な歩みを進める必要があります。