異文化から学ぶ「終活」⑩ – ④

シリーズ「異文化から学ぶ「終活」」。今回はケルト文化を取り上げてきました。

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その大きな影響力とは裏腹に、広大な土地に散在し、かつ遊牧民的であり、文字で記録を残さなかった彼らの痕跡からはその文化の俯瞰が難しく、ケルトの研究は世界的にもまだ始まったばかりです。

シリーズ1回目ではケルトの自然物崇拝とその精霊である「妖精」、2回目では妖精という存在をふまえ「浦島太郎」の類話「常若の国のオシーン」をご紹介しました。この話からはケルト信仰における重要な概念「異界」のあり様が読み取れます。

そして前回、その「異界」の概念が生んだ祭「サウィンの祭」をご紹介しました。それはハロウィーンの原型となった祭です。

「異界」の特筆すべき点は、なによりも行き来が可能だということ。
この「生死の曖昧さ」こそがケルトの死生観を作り出していたのでしょう。

では、そんなケルトは「死と埋葬」をどのように扱ってきたのでしょうか。

決まった形はない

実は、ケルトが埋葬や葬儀をどのようにして行ってきたかはひとくくりにはできないのです。
というのも、広大な土地に散在し、遊牧民的ですらあった彼らは、その時々の慣習で葬儀や埋葬を行っていたようで、それは火葬であったり土葬であったり風葬であったりしたようです。
また、考古学的な手がかりも乏しいが現状のようで、「ケルトの死生観に基づく埋葬や葬儀」というものは確認できていないのです。

しかし、このことから連想することが筆者にはありました。
風葬と亀甲墓 – 沖縄の死生観」という記事で触れているチベット仏教の埋葬の考え方です。

少し長いですが、以下に引用します。

以前、「チベットの死者の書」について述べたチベット仏教では「鳥葬」が行われます。
どちらも遺体を長期間かけ自然に還していますが、特に「チベットの死者の書」を用いた葬送を行う地域においては、ダライ・ラマ14世の言葉を借りれば——「草臥れた洋服を着替えるように」——新しくするものが肉体であり、「鳥葬」は輪廻転生に基づいた死生観から採られた、肉体に重きを置かない考え方でした。

これは筆者の推測に過ぎませんが、チベットにおける「鳥葬」が「肉体に重きを置かない考え方」であったように、ケルト文化における埋葬と葬儀は「生と死の境界とその行き来に重きを置かない考え方」であったがゆえに統一されず、結果、様々なカタチがその時と場所で選ばれたのではないでしょうか。

そう考えると、定型を持たないケルトの埋葬のカタチもまた、ケルトの死生観を反映しているように感じられました。

終わりに

「終活」とは自身の「死のカタチ」をデザインする営みとも言えます。
言い方を変えれば、それは「あの世」への道筋を明確にしておくこと。

ところが、ケルト文化においては「あの世への道筋」はおろか、「あの世とこの世の境い目」すら曖昧です。

「終活」という言葉がもてはやされてからしばらく経ちます。

中にはその言葉に疲弊を感じている方もいるのではないでしょうか。
そうした疲れのデトックスとして、あるいは純粋に異文化からの刺激として本稿が受け止められれば幸いです。