弔いとデザイン

「終活マガジン」において、「終末期医療」と並んでたびたび取り挙げているテーマが「墓地の問題」です。

増え続ける墓
墓地の今後 – 問題と可能性

主な問題点として、都市部に人口が集中する傾向にある昨今、「墓地」という場所をどう確保するか。

都市部における人口集中の背景には超高齢化と介護の問題があり、「終末期医療」と「墓地の問題」は密接に相関した問題です。

墓地の今後 – 問題と可能性」という記事ではコロンビア大学院の建築学部にある「デスラボ」という研究室をご紹介しました。都市空間の一部として「墓地」を再検討しようと試みている研究室です。

この問題は日本だけのものではなく、世界的に検討が急がれている問題です。

そんな中、近年この国では斎場や霊園施設に著名な建築家が携わる事例が増えています。
それはつまり、デザインの力で「墓地」を再構築しようという試みです。

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イメージの払拭

葬儀に参列した際、火葬の段になるとマイクロバスなどで移動することが多いです。大抵は山奥にまで移動することになります。
斎場、特に火葬場は必要不可欠な施設にも関わらず忌避される傾向が根強い。

そう考えると、問題となるのは人々の「死」への意識にも思えます。
ですが、たとえば過去に掲載した記事「シリーズ – 「死を考える技法」入門③」において、哲学者のハイデガーの言葉を説明する際に言及しましたが、人々は「自分が必ず死ぬ存在」であることを常に意識しては日常を送ることは困難なのです。
つまり、近しい場所に「死」と関係の深い建造物があることを避けたがる意識というのは、簡単には変えられない。

そこで「デザインの力」に注目が集まりました。

世界観の統一

たとえば神社や寺院は祭祀施設ですから、そこに「死」の意識が向けられてもおかしくはありません。
ところが神社や寺院は都市部においても迎合され、わざわざ観光されるものでもあります。それは、そこには「死」への意識よりも先に「神聖」な雰囲気が漂っているからではないでしょうか。

その「神聖」の印象を与えるのに大きく寄与しているのは建築物のデザイン性や世界観の統一などでしょう。
たとえば、お盆によく見かける原付二輪で走行している袈裟姿をやや滑稽に感じてしまうのは、そこにデザイン性や世界観の統一の破綻が見られるからです。
それは本来、非常に合理的な選択なのですが、我々は違和感を感じてしまう。

現代における「火葬場」は、そうした違和を内包した場所です。
求められるのは「死」にそぐう「神聖」であるにもかかわらず、至るところに工業的な気配が漂ってしまう。
「死」と「機械」の組み合わせは無機質な印象を与えてしまい、我々の中にある「死への恐怖」をむやみに増幅させてしまうようにも思えます。

そうしたちぐはぐをデザインの力で解決してゆこうというのが、昨今、この国で斎場や霊園施設に著名な建築家が携わる理由なのでしょう。

あけすけな言い方になってしまいますが、——「死」を「神聖」で覆ってしまえば、都市空間にも斎場は存在できるのではないか——。
無宗教の国ゆえに、そうした方法が最善なのかもしれません。