1kgと死の周縁 – 前編

つい最近、「1キログラム」の定義が変わったことをご存知でしょうか?

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1キログラム。1000グラムです。1リットルの牛乳パックの重さがおおよそ1キログラム。
ほとんどのひとは日常のなかで、体重以外の重さを量ることはないのではないでしょうか。

筆者もあらためて家の中を見回してみましたが、料理をすることもないため、体重計のほかに重さを量ることのできるものはありませんでした。

荷物を持って重いだとか軽いだとかを体感する。日々にある「重さ」への思いはその程度のことでした。
ですので、浅学ですが、最近、「1キログラム」の定義が変わったという報道によってはじめてその定義のことを知りました。

1kg

秤で量れば1kgはわかります。では、その秤は1kgをどうやって判断しているのか。
そうして辿り辿った場所に1kgの定義はありました。

いま、「ありました」と過去形で記述しましたが、つまり「これまでの定義」は辿り辿った場所に「あった」のです。

フランスのパリ郊外にある国際度量衡局。ここに1kgはありました。
厳重に保管された白金とイリジウムの合金。それが「1kgの定義」だったといいます。

定義。字義のとおり、「これが1kgだ」と定めたのだから、それが1kgなのです。
つまり、厳密には1kgは唯一無二の存在だったということです。パリ郊外の国際度量衡局にあるそれだけがたったひとつ「1kg」だった。

「1キログラム」の定義が改められた理由は、まさにその唯一無二という特性にあります。
なにしろ、極端に言ってしまえば他の全ては偽1kg、1kg風になってしまうからです。

では、あたらしい「1kg」はどう定義されたのか。
実は、それは最新科学によって実現した非常に緻密な方法で定められており、正直ピンとこないものになりました。関心のある方はお調べください。

重要なのは、唯一無二ではなくなった、ということです。つまり、一定の条件(新定義)を満たしていれば「1kg」は世界に無限に存在することになったのです。

死の周縁

思いがけず「1キログラム」の話が長くなってしまいましたが、これは「終活マガジン」ですのでお話ししたいのは「終活」にまつわることです。

以前までの「1kg」の定義——つまり国際度量衡局にある唯一無二のそれ——のことを知り、筆者が連想したのは死とその周縁に関することでした。

これまで「終活マガジン」では様々な死生観、宗教観、あるいは「死とはなにか」についての哲学的アプローチなどをご紹介してきました。
そして知れば知るほど、特定の信仰を持たない筆者は「死」という黒い穴の周縁をさまよっているだけのような気持ちになってきたのです。

いくら調べ、知識を付け、思考を重ねても、「死」そのものではなく、その「周縁」に留まらざるを得ない。
端的に言って、死んでいないから「死の気配」しか感じ取れない。唯一無二の定義には近づいたら最後、帰ってこられないのです。

これまでの「1kg」の定義のように、「死」や「神」は特定のどこかに「ある」。しかしわれわれはその周縁にしか存在できない。

なんとかならないものか。

「1kg」のあたらしい定義のように——「これをこうしてこうすれば条件が揃う」——そんなふうに「死」とまったく同じ経験が得られるようにはならないのだろうか。

たしかにこうした想いは生きているからこその感慨かもしれません。
ですが、それは危険を孕んだ問いのようにも感じられます——

後編へと続きます