2018総集編 ②シリーズ – 上半期

今年の「終活マガジン」では、ひとつの記事に収まりきらないものをシリーズとしていくつか掲載しました。

81557b4ddcee122e835399e31fb6b04a_s

どれもが深く、また多角的なテーマであるためシリーズ化に至りました。

本稿はそれらのイントロダクションです。

今回は上半期に掲載した記事を時系列に沿ってご紹介いたします。

上半期

まずは、今年の3月に掲載した、
●「シリーズ – フェミニズムから見る終活

現代において、フェミニズムは世界的に勃興しています。
多種多様な文化の中にその影響が見られることを記事では紹介しました。

また、性という根本的なものに関する運動であるため、今後の夫婦のあり方、ひいては「終活」のカタチへの影響についても考察しました。

特に筆者としては、「孤独死」を考えるうえで、共同体のあり方の男女差にも注目しています。

●「シリーズ – かぐや姫にまつわる死生観

kaguyahime1

こちらは、4月に映画監督である高畑勲さんの訃報を受け、掲載した記事です。
高畑勲監督の遺作『かぐや姫の物語』を軸に、日本最古の物語『竹取物語』が持つ死生観を考えました。

『竹取物語』には仏教的思想の影響が色濃く出ています。
ですが、『かぐや姫の物語』は原作を尊重しつつ高畑勲監督の持つ広く日本的な死生観が重ねられており、そうした死生観のグラデーション、あるいは美しい絵、さらには音楽やプレスコと呼ばれる俳優を尊重した手法などから多くの刺激を得ることができます。

●「シリーズ – 「死を考える技法」入門

6月には、「死を考える技法」入門と題し、ハイデガーの大著『存在と時間』を扱いました。
われわれは、考える時に言葉を使います。
そのことの利便性と危険性、また、その限界について考えたいと思い掲載いたしました。

参考図書として小説家の筒井康隆による『誰にもわかるハイデガー』を用い、主に『存在と時間』に登場する哲学用語に焦点を当てました。
これは、思考とは言葉を用いる作業ゆえに、「それを意味する言葉」を知らなければ考えることができない、という基本に則っての考えでした。

哲学の大著を扱っているため、難解かつ不透明な箇所も多々見られますが、「死」に関する本格的な思考の導入となれば幸いです。

下半期に続く