戒名が持つ現代的問題

「終活マガジン」ではこれまで、「戒名」を取り上げてはきませんでした。
特定の宗教に偏らない記事を意識してきたのがその理由ですが、端的にその機会もありませんでした。

ですので、今回は「戒名」が持つ現代的問題を取り上げますが、まずはその概要からお話します。

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「戒名」とは

日本における「戒名」とは、一般的には仏教が故人に授けるものを称します。
寺院や宗派に対する貢献の度合いで階級があり、大抵は金銭にまつわるものと理解されていると思います。

仏の世界は平等だと考えられていますが、そこでの「名」にも階級があるのは「生者」の側の都合なのでしょう。

また、男性には「信士(しんじ)」、女性には「信女(しんにょ)」などとつけたりと性差も反映されます。
これは宗派によって形は違うものの、一般的なもののようです。

日本語のジェンダーギャップ

ジェンダーの問題に関しては、過去にいくつかの記事で取り上げました。

また、シリーズ記事である「フェミニズムから見る終活」でもジェンダーの問題を扱っています。

こうした時代背景において、「戒名」が性別を持つものであることへの提言が起きているようです。

ですが、このことはなにも「戒名」だけの問題ではありません。
日本語とは、主要な言語の中でももっともジェンダーギャップの大きい言語だと言われています。

大きなところでいえば、主語の問題。
「わたし」「ぼく」「おれ」などの一般的な主語では、性別に関係なく使われるのは「わたし」くらいではないでしょうか。

そもそも日本語の構造がすでに現代にそぐわない以上、古くからある「戒名」が現代的ではないのは当然のことなのでしょう。
とはいえ、日本語の仕組みを抜本的に見直そう、などということは非現実的ですから、やはりひとつひとつを取り上げ精査していく他ないのかもしれません。

ところで、いま「精査」と書きましたが、ジェンダーギャップは日本語にすれば「性差」です。
音が同じゆえに混乱を招くのか、そもそも馴染みがないからなのか「性差」ではなくジェンダーギャップ、性の違い、などそれを指す言葉には揺らぎが生じています。
このように、フェミニズム、トランスジェンダー、LGBTQのことなど、昨今の「性」の問題に日本語はほとんど対応できておらず、大抵がカタカナ表記の外来語であり、このことからもこうした問題を日本語が受け止めてこなかった歴史が垣間見得ます。

思考と言語

当然のことですが、われわれは言葉を使い考えます。

日本語という言語が昨今、表面化しつつある様々な「性の問題」に対応できていない以上、われわれの思想の根深い部分には、それにうまく対応できる構造がないのかもしれません。

そう考えたとき、これからの世代がこうした思考回路を元から持たず、言葉が理由で性の問題に直面しないよう、できることをひとつひとつ見直していく——日本語をアップデートしていく——それはいま生きているわれわれの役目なのかもしれません。