深沢七郎という死生観 – 後編

善悪を超え、自然の摂理を感じさせるリズムで「歌われる」深沢の死生観。

実際、深沢の繰り返される「〇〇だった」は、非常に意識的に使われており、ギタリストでもある出自がそうさせたのか、どこか反復による陶酔効果を思わせたりもします。

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深沢の名言

さて、この記事の表題は「深沢七郎という死生観」。
もちろん、彼の小説作品からはそれを感じ取ることができます。
しかし、彼の日記作品や生き方自体からもそれらは受け取ることができるのです。

「死ぬことは大いにいいことだね。
ゴミ屋がゴミを持っていってくれるのと同じで、人間が死んで、この世から片づいていくのは清掃事業の一つだね。」

「まあ、暇をつぶしながら、死ぬまではボーッと生きている。それがオレの人生の道、世渡り術というものだよ。」

2010年に文庫化された未発表作品集『生きているのはひまつぶし』では、上のように語る深沢七郎。

小説作品ではまるで結晶化されたような静謐な世界を描きつつ、フリートークでは体裁など気にせず簡易な言葉で語る。
そのどちらにも深沢の死生観は通底しており、美醜、そのどちらもが人間の真実だと深沢は語っているのかもしれません。

デトックスとしての深沢

記事制作にあたり、昨今の社会問題、「超高齢化/多死社会」「(積極的/消極的)安楽死」「終末期医療」などを調べると、知れば知るほどに頭を抱えざるを得ない問題が山積みであることに直面します。

もちろん、そうした問題は深刻なことです。本当に深刻なことだと思います。
だからこそ、簡単な救いはそこと向き合い続ける限りありません。
八方塞がりの想いと、かすかな希望的観測によって言葉をつむいできました。

ただ、それと同時にわれわれは生きていまし、これからも生きていきます。
そうした時、深沢の言葉や作品は、ふと大局的な視点をもたらしてくれ、いちど煮詰まった感覚をリセットしてくれるような作用があるように筆者は感じました。

深沢七郎という死生観

深沢七郎が現代を見た時、どういう言葉を口にするだろう。
そう考えることは、ひとつの「死生観」を得たことのように感じられます。

前編でも述べましたが、10年前と異なり、幸いにも深沢七郎の書籍はいま多くが文庫化されています。

「終活」を取り巻く厳しい現状、問題。それらについて考えることは大切ですが、容易な解決策はどこにも見当たりません。

繰り返しますが、ただ、われわれは今日も生きていますし、おそらく明日も生きています。
時には深沢の言葉に触れ、静けさや軽やかさを感じ自身に取り入れることをおすすめします。