宗教とテクノロジー – 後編

ローマ教皇が「Click to Pray」という名の、祈りのためのアプリを発表したことに近い対応として、この国では若手僧侶がYouTubeなどの動画メディアを用いて「法話」を配信していることが挙げられます。

配信される「法話」

上の動画は、大本山須磨寺の小池陽人副住職による「法話」です。
小池陽人副住職は32歳と若手の僧侶ですが、ゆえにメディアと宗教の関係にもフラットな目線を持てるのかもしれません。
2017年6月以降、2週間に1度の動画投稿を続けています。

見てみるとわかりますが、ラジオ法話と違い身振り手振りもわかるので見易いです。
また、テレビと違い、こちらに視聴のための能動性が強く求められるため、自然と考えることが促されます。

宗教とテクノロジー

さて、ここまで「宗教とメディア」の話を続けてきましたが、テクノロジーの変化に伴いメディアも多様化し、こちらに求められるのはこれまでよりも「より強い」リテラシー——いわば目利きの力です。
仮の話ですが、上記のYouTubeによる「法話」に感銘を受け、視聴を継続していたとします。しかし、土台は「YouTube」という動画配信サービスですから、それがこれからどうなるかは誰にもわからない。また別の動画投稿サイトに移動し続けられる、といったことは想像に難くありません。
そうした時、あたらしい場所での「法話」の動画は、何が変化し、何が変化していないか。
それを受け取り考える力が我々には必要です。

少し飛躍すれば、3D動画となるかもしれない。
そこに僧侶がいるように感じられるのだから、その方がより良い、と短絡に結論付けることはできません。

テクノロジーの進化は、これまでできなかったこと、無かったものを具象化します。
宗教がこれまで培ってきた、いわば「不変」の教えを、これまでできなかったこと、無かったものによって受け取る。
そのことの正否は、時を経なければ誰にもわからないことです。

同様にテクノロジーは、「死生観」にダイレクトに揺さぶりをかけるような発明を次々と生み出します。
長寿、不老不死、人工臓器、人工知能……。

判断基準

真言宗須磨寺派の本山「須磨寺」、その開祖である弘法大師は、若かりし頃、最新の知識、教えを得るために唐に渡ります。
開祖のそうした態度から考えれば、YouTubeによって「法話」を配信することは頓狂なことではありませんし、むしろ自然なことでしょう。それは、学んできた「教え」、ひいては「死生観」が確立されていたからこそできた判断なのかもしれません。

テクノロジーに倫理観を揺さぶられ、宗教家の柔軟な対応に翻弄される。
それではこれからも、ただ疑い深いだけで「死生観」を獲得することは叶わないでしょう。
だからといって、とりあえず「信じる」、と舵を切るのは当然悪手です。

「死」を受け取り、考えるための道のりは、今後その方法が増加すると同時に、より困難を深めていくのかもしれません。