カウボーイと色即是空 – 前編

これまで10回を数えるシリーズ「異文化から学ぶ「終活」」。
今回より表題からはその旨を無くし、引き続き様々な文化から「死」を考えてみたいと思います。

さて、今回のテーマは「カウボーイ」。

lucky

筆者が「カウボーイ」に関心を持ったのは、このところの音楽をはじめとするアメリカ文化の中でその言葉が象徴的に使われているからでした。
とはいえ、いまひとつその感じがわからない。

もちろん、原義はわかります。
元を辿れば、西部開拓時代に馬にまたがり仕事をしていた労働者。後に、単純に牛飼として認識され、「やんちゃ坊主」といった意味合いなどのスラングとしても使われます。
ですが、どこかこのところのアメリカ文化においては、違った文脈で捉えられているような気がする。
たとえば、日本における「侍」のような……。

そんなふうにいろいろと調べているうちに、『ラッキー』という映画の存在を知りました。
前置きが長くなったうえに、いまだ本題には入れていませんが、本記事は映画『ラッキー』から感じた死生観を中心に話を進めていきたいと思います。

映画『ラッキー』

2017年公開のアメリカ映画『ラッキー』。

主演は当時90歳のハリー・ディーン・スタントン。
主人公は90歳の通称「ラッキー」。
実はこの映画、フィクションでありながら、名優ハリー・ディーン・スタントンの人生とその時をそのままフィルムに収めようと試みたような、フィクションであり現実でもあるといったような、そんな不思議な味わいの映画なのです。

そしてそれと同時に、正面から「死」を意識した映画でもあります。

主人公のラッキーはアメリカ南西部の街で一人暮らしをしています。
目覚めると同時にタバコをくわえ、ヨガをし、牛乳を飲むとウエスタンシャツとジーンズを履き出かけます。
麦わらのテンガロンハットをかぶったその出で立ちはまさにカウボーイ。
本作品で「カウボーイ」という言葉は一度しか使われませんし、牛も馬も拳銃も悪党も登場しませんが、彼の身につけているもの、立ち振る舞いは「カウボーイ」のイメージを体現していると言えるでしょう。

そう、いま現在の「カウボーイ」の姿とはこうなのではないでしょうか。

もちろん、優れた西部劇、たとえばクリント・イーストウッド監督の『許されざる者』を鑑賞することからもその死生観は伺えます。
しかし、現代における「カウボーイ」を見つめたい時、『ラッキー』におけるラッキー/ハリー・ディーン・スタントンの姿はまさしく「カウボーイ」でした。

現実主義者で無神論者の彼が、繰り返される同じような生活の中で「死」を意識する。

それはほんの些細なことでした。

第二次世界大戦に従軍したことのあるラッキー/ハリー・ディーン・スタントンにおいても、——現代において——「死」を意識するということは、そうした些細なことがきっかけなのです。

そして、そんなふうに直面した「死」について考えを進めるきっかけもまた繰り返される生活の中にある些細な出来事にありました——

>>カウボーイと色即是空 – 後編