家から離れて – 死を想う場所

「死を想う場所」——みなさんはどのような場所を連想されますか?

たとえば「家」。プライベートな空間だからこそ自分と向き合える。
あるいは「親しい人の墓前」。開けた、海の見えるような場所。昼間は喧騒にある場所で、夜にひとり……などなど。

筆者がパッと思い浮かぶのは、どこか「孤独」を感じられるような場所ばかりでした。

とはいえ、「死」は孤独なこと、ひとりで向かい合わなければならないことであると同時に、社会的なことでもあることは繰り返し述べてきました。
今回は、先日まで東京都で催されていた「おいおい老い展 生き方・介護・福祉のデザインを考える5日間」から、開かれた「死を想う場所」について考えてみたいと思います。

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「展示」される「老い」

おいおい老い展 生き方・介護・福祉のデザインを考える5日間」はアーツ千代田3331にて3月21日から25日まで催されていた展示会。
展示はもちろん、トークショーをはじめとしたイベントによって「老い」をいろいろな角度から見つめた催しでした。

先月「居住空間 in 終活」という記事を掲載し、そこで「終活」を行う時節の「衣食住」における、とくに「住」の重要性について述べました。

それはそれが逼迫した問題であったからですが、とはいえ、「衣」や「食」をなおざりにして良いわけがありません。
長い目で見た時、老いてからの「衣」や「食」を考えることは必要不可欠なことです。

上記の展示会では、そうした老いてからの「衣」や「食」にも注目していました。
それはたとえばファッションやインテリアに焦点をあて、老いてからのそれらとの付き合い方の可能性を探る鼎談であったり、「未来の介護食」と題したアート作品であったり。

「終活マガジン」でも注目している、西本喜美子さん(「遺影が気になるひと」という記事でご紹介しました)の展示もありました。

死を想う——開かれた——場所

内容のおもしろさ、充実はもちろんのことなのですが、筆者が特に興味を惹かれたのは「展示会」というその枠組みです。
冒頭で、「死を想う場所」として連想する空間を、どこか「孤独」を感じられるようなものばかりだと述べました。

ですが、今月はじめに掲載した記事「選択と決断の時」で紹介した映画『エンド・ゲーム: 最期のあり方』を観ても感じたことでしたが、現代において「死」を迎える場所は病院などの開かれた——つまり、自分の意思で孤独になれるわけではない場所——であることがほとんどです。

だからこそ、そうした時にそうした場所で発する「言葉」を会得しておく大切さを上記の記事では述べました。

「展示会」は開かれた場所です。
友人知人と連れ立ち訪れるのももちろん楽しいことですが、ひとりで行くのも良いでしょう。ところがひとりで行ったとしても、ある展示を見知らぬ他人と一緒に見ることになるかもしれない。
そう行った場所で「死を想う」。
そのことの有意義やおもしろさ、もっと言えば風通しの良さのようなものが、昨今の「終活」にはとても大切なことのように感じられたのです。

今後、こうした催しが盛んとなり、さらなる多様性、開放感を会得することを期待したいです。