「コミュニティナース」から考える終活 – ④

「「コミュニティナース」から考える終活」と題した連作記事、その第4回です。

今回は「コミュニティナース」において——「フィールドワーク」を重要視した取り組みがいかに重要か——を述べることから始めます。

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フィールドワーク

フィールドワーク、それは簡単に述べれば、学術研究において実際にその場所に出向き調査を行うことです。

こうなのではないか、という仮説を確かめにいくというよりも、よりフラットな状態でその場所を見つめることが大切な調査方法です。
なにかを発見しよう、という企みですら邪魔となる場合もあるでしょう。
確実な成果を意識することは色眼鏡となってしまうのです。

「コミュニティナース」ではフィールドワークが非常に重要です。
「その地域社会」ではなにが大切か。それは場所によって異なるからです。

そういった意味では、ある程度既存のコミュニティが生きている場所から始めたほうが「コミュニティナース」を根付かせることに適していました。

コミュニティが存在しない代わりに、医療施設が充実している都市部においての「コミュニティナース」のあり方については、フィールドワークだけでは立ち行かない問題があるでしょう。
コミュニティそのものを作り出すところから始めるのは、特に移住してきた「コミュニティナース」には障壁が多過ぎるのです。

つまり、都市部ではなく地方に(かろうじて)既存していたコミュニティ、そこにいた——「コミュニティナース」への理解を持ってくれた人——がパイプ役となることによって、はじめて「コミュニティナース」はそこに根付く可能性を得るのです。

地方には、都市部にはないこうした可能性がありました。

着火剤としてのコミュニティナース

さて、社会実験としての「コミュニティナース」は、それが実験だからこそ失敗はつきもの。
ですが、そうした失敗が新たな芽となることもあるようです。

筆者が「コミュニティナース」を知り「終活」のあり方へのヒントを得たのと同様に、その地域にいる他分野のひとびとに影響を与え、お互いを刺激しあう。
つまりは「コミュニティ」の活性化と相互作用の活発が新たな芽を生み出す。

昨年、「幇助の時代」という記事を掲載しました。
「終活」を考えるうえで、「草の根の力」こそが唯一の可能性だと感じ書いた記事ですが、こうした思いは現在、多種多様な分野で「大きな問題」と向き合うひとびとの共通の思いに感じられます。

だからこそ、「コミュニティナース」の活動は刺激的であり、また別の「個」を呼び寄せるのです。

そんな「コミュニティナース」が抱える大きな問題のひとつ、「わかりにくさの問題」について触れることから次回は始めます。

>>「コミュニティナース」から考える終活 – ⑤