「餅は餅屋」か?

何事にも専門家は必要です。
ただ、あらゆる事において細分化が進んでいる現代においては、「餅は餅屋」と言い切れない状況も多く見受けられるのではないでしょうか。

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「餅は餅屋」の例を使えば、わらび餅、草餅、ずんだ餅、安倍川餅……、とそれぞれの専門店が出来、「なんでも良いから美味しそうな餅を選んで買いたい」という欲求を叶える場所が失われた状態です。
あるいは、デパートの衰退もまたそうでしょう。専門店を多数備えたモールのほうが現代的です。

ですが、こと医療や「終活」関連の出来事においては、細分化され過ぎていることは望ましくありません。

「なんとなく具合が悪い……」という状態で病院に向かうのは非効率的なため、事前にインターネットなどで自身の症状から検索をし、ある程度あたりをつけ、そしてその専門科を受診する。

われわれは医療の専門科ではないですから、これは存外難しいことです。

複合的医療従事者

全6回のシリーズで掲載した「「コミュニティナース」から考える終活」。
その中で取り上げた「コミュニティナース」は、そうした細分化とは反対を行く動きと言えます。

その書籍『コミュニティナース ―まちを元気にする“おせっかい”焼きの看護師』の副題にあるとおり、これは“おせっかい”焼きを自覚した考え方であり、それは言い換えれば「細分化」や「専門性」をあまり意識しない! という表明とも捉えられるのではないでしょうか。

フィジシャン・サイエンティスト

みなさんは「フィジシャン・サイエンティスト」という言葉を聞いたことはありますか?
医師と研究者を兼ねた存在を指すのですが、アメリカでは絶滅寸前の職業だそうです。

これまで大きな功績をあげ、重要な役割を担ってきた「フィジシャン・サイエンティスト」。
彼らがいなくなってしまいそうなのは、それになるためのハードルの高さにあるようです。
とはいえ、いまもなお渇望されている存在である。
つまり、「フィジシャン・サイエンティスト」は不要だから減っているのではなく、望まれながらも育てる地盤が整っていないのです。

こうしたことの背景には、経済的問題が絡んでいることが多い。

「コミュニティナース」は、それぞれがそれぞれで「収益化」のモデルを作り上げていかねばなりません。
「複合的」であること、そしてそのことによって「専門性」が隠れがちであること(決して専門性を持っていないわけではありません。コミュニティナースは看護師なのです)、そうしたことが彼らのスムーズな「収益化」を妨げることもあるでしょう。

「フィジシャン・サイエンティスト」もまた、経済的に活動が難しい職種のようで、彼らのための助成金は存在します。
ですが、それらはすでに功績をあげた「フィジシャン・サイエンティスト」へと行き渡り、後進を育む活動には行き渡っていないとのこと……。

「終活」における専門性

現在の「終活」における専門性については、どう考えるべきでしょうか。

「墓」「葬儀」「遺産相続」そうしたことを一手に担ってくれる人はいるでしょう。「終活カウンセラー」と呼ばれる存在も認知されてきました。
ただ彼らは「わたしは「死」をどう考えるべきなのか」あるいは「なにか特定の宗教を持つべきか」といった質問には対応しがたいのではないでしょうか。

「「死」をどう考えるべきか」「特定の宗教を持つべきか」は、「墓」「葬儀」のあり方に直結する問題です。
とはいえ「そんなことまで人に頼るな」という声にも一理あるでしょう。
ですが、「日本の終活」はそこまで引き返し、あらためて始める必要があるものなのかもしれません。

「終活マガジン」では、「墓」「葬儀」「遺産相続」に限らない、多様な「死」にまつわる事柄をご紹介してきました。
そのことの意義を最近ではより強く感じるようになっています。

今後とも、そうした視点での記事制作に取り組みたいと思いますので、引き続きご愛顧いただければ幸いです。