『リチャード三世』と死生観 

〜殺しの代償は不眠症④

ひたすら魅力的に弁舌をふるいながら人を手に掛け続けたリチャード(まさに二枚舌)の様子が一変するのは劇の中盤を超えた頃。妻のアンが、前夫を殺した男=リチャード三世とその男の妻になるであろう女を呪っている時に、まさに呪った相手からプロポーズを受けてしまった己を恥じながら、今の心情を吐露します。

  おかげで、この目に安らかな眠りが訪れたことはない。
  あの男のベッドで一時間たりとて
  黄金の眠りを楽しんだことはなく、
  あの男がうなされる悪夢でいつも起こされる。

「安らかな眠り」「黄金の眠り」『マクベス』にもつながる重要なキーワードです。
西欧文学や絵画を読み解く上で、黄金及び金色は神を表す神聖な色彩です。特に黄金は、恵まれている状態やその人自身を示す象徴としてよく用いられます。キリストが生まれた時に東方の三博士の一人が捧げたのは黄金で、成人期に王として讃えられることを予祝(よしゅく:前もって縁起の良いものを提示する、または口にすることで福を呼び込むこと)するために贈り物として選ばれました。また、キリスト教絵画では、キリスト自身や使徒・聖人を他の人々と区別するために黄金の輪もしくは円形を後頭部に書き込むのが定例です。
リチャード三世にとっての黄金は、直接的・比喩的に間違いなく頭に載せた王冠のことだったはずです。王位こそが醜い己の外見を補完し、自信を与えるものだったからです。皮肉なことに、自身にとっての黄金=王冠を手にするために人を次々に殺し続けたことが、本当の意味での黄金である「眠り」を奪ってしまう=不眠症に陥ることになります。
「ギリシア神話と死生観」では眠りと死の親和性の高さについて説明しましたが、シェイクスピアの手に掛かると、両者の関係性は少し複雑さを増します。文学的解釈の範疇ですが、人間に死をもたらすことができる正当な権利を持っている存在は、唯一死神だけです。殺人とは、死神の権利を不当に超越するという許されざる行為なのです。そもそも死神ですら、人間の命を奪う行為を意図的に行なっているものではなく、やらなければならないこととして行なっているのであり、言ってみれば仕事の一環に過ぎません。にも関わらず、私利私欲のため、憎しみにかられ人間が人間を殺すということは、死神の立場をないがしろにすることに他ならないのです。
「他人に死をもたらす」という権利を不当に行使したものには、死をないがしろにした罰として、その兄弟である眠りが奪われる。そしてこの罪を贖うことは死を以ってのみ可能である。『リチャード三世』には、死によって眠りが死に、眠りを生き返らせるには死を伴うという因果が入り乱れた複雑な関係性を読み解くことができます。
そしてこの災いは、台詞を読めば一目瞭然ですが、妻のアンにの身にも降りかかっていることがわかります。結婚してから一度も満足に眠れたことがない哀れな王妃、人を殺したことのないアンががなぜ眠りを殺されてしまったのか。冒頭に述べた通り「自分で発した呪いが自分に返ってしまったから」と言ってしまえばそれまでですが、前述の解釈をふまえたとき、筆者には、呪いがえしを受けたことで自分で自分を殺してしまったために受けてしまった罰なのではないかと思えるのです。
因みにキリスト教では、自殺を非常に重い罪とみなしています。

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