『マクベス』と死生観 

〜神の祝福を殺した男③

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マクベス夫人が男さながらに肝の座った女性であると言うことは、登場早々から描かれています。マクベスから送られた告白の手紙を読んだ後、帰りを心待ちにしながらすでに決意した殺意を自ら鼓舞する場面は強烈なインパクトです。

さあ、殺意につきそう悪霊たち、
私の中に入ってきて! 私を女でなくしておくれ!
頭から爪先まで、おぞましい残忍さで
満たしておくれ! この血をどす黒くし、
哀れみへの道筋をふさいでおくれ!
情けを起こして残酷な決意がぐらつき、
実現に至らぬことのないよう!
この女の乳房に入ってきて、
お乳を胆汁に変えておくれ!

彼女の決意は、自らの性別を変えてくれと神頼みするほど固いものだと言うことがわかります。かと思えば、王が夫妻の城を訪ねた際、王に向かって澱みなく美辞麗句を並べ立てます。

私どものご奉公を
全て倍にし、そのまた倍にしましても、陛下からわが家が賜る深く広い
栄誉に比べましたら、とるに足らぬ
つまらぬものでございます。これまでのご恩、
それに加えてこの度の光栄、ただただ
感謝の祈りを捧げるばかりでございます。

『リチャード三世』に肩を並べるほどの二枚舌です。
一方のマクベスはといえば、早くも怖気付いてしまい重い腰が上がらなくなります。グラームズの領主の身分で満足しよう、目の前のささやかなな幸せを享受しようと妻に打ち明けるまでに心変わりしてしまうのです。ですが結局、妻の強い言葉に決意をし直し、王を手に掛けてしまうのです。
さて、夫人の「お乳を胆汁に変えておくれ!」と言う台詞は、密かにこの戯曲の本質を指し示しています。「お乳」が母性や優しさを象徴しているのは明白ですが、この戯曲ではそれがある人物に向けて使われています。女である夫人が、男である夫のマクベスへ、その気性の優しさを詰めの甘さにたとえて投げかけるのです。
いざ事に及ぼうと言う段になり怖気付くマクベスに、夫人は先の「胆汁」に呼応するこんな台詞で夫を奮い立たせようとします。

私はお乳で子供を育てましたから、
父を吸う赤ん坊がどんなにかわいいか知っています。
その子が私の顔ににこにこ笑いかけている時に、
柔らかい歯茎から乳首をもぎとり、
その脳みそを叩き出してみせます。

子どもに対してより、夫婦同士のつながりの強さを求める人々もいます。この夫婦はその典型です。
史実の二人には子どもがいたことが記録されていますが、この戯曲の別の場面である人物が「奴(=マクベス)」には子供がいない」と言っているので、戯曲『マクベス』の上でどのような設定が施されているのかははっきりとはわかりません。ただ、明言できることは、この夫婦の絆の強さを強調するためにシェイクスピアが「お乳」と言うシンボルを用いていたと言うことです。
現在シェイクスピア全戯曲の新訳作業を進めている松岡和子さんは著書『シェイクスピア「もの」語り』(新潮選書、2004年2月)の中で、この夫婦を「一卵性夫婦」と呼称しています。ふたりの絆の強さを示す言葉であるのと同時に、シェイクスピアの全作品に登場する主要な女性キャラクターのうち、固有名詞を与えられていない唯一の存在マクベス夫人だからです。マクベスが男であるにも関わらず女性性を意識させ、夫人はその逆であり、ふたりで一人前であることが強調されていますが、二人ともどもあっという間に精神を病み死んでいきます。
絆が強すぎるからこそ、二人の寄る辺なさがかえって強調される、哀れな夫婦の末路です。