『マクベス』と死生観 

〜神の祝福を殺した男⑤

マクベス夫人が精神を病み始めるのは、物語の後半からです。父王の殺害を受け、皇太子マルカムと臣下がイングランドへ逃亡し、多数の味方をつけスコットランドへ陣を張ります。知らせを聞いたマクベスも対抗すべく出陣するために城を後にします。夫人に異変が起こるのはこの後、マクベスと別れたその日の晩からです。
お付きの侍女が、夫人が眠りながら徘徊したり手紙を書いたりしているところを目撃し、医者に相談の上共に見張りに立ち、奇行を目の当たりにするこの場面。通称「夢遊病の場」と呼称されています。
侍女からことの次第を聞いた医者は、半信半疑で「お心の乱れですな。睡眠の恩恵を受けながら、覚醒しているとは」と独り言ちます。ここでもやはり睡眠=恩恵という図式が示されており、眠ることが人生において重要な要素を持っていることを強調しています。
「心の乱れ」という表現は、エリザベス朝のイギリス特有のものです。これについては『ハムレット』と死生観で詳述しておりますのでこちらをご覧ください(後日リンクを貼りますのでお待ちください)。

さて、この「夢遊病の場」の一部を抜粋します。ダンカン王殺害の場という忌まわしき記憶を、夢遊病で苦しみながら再現してしまう。隠さなければいけないのに、罪の意識に苛まれた挙句無意識にあきらかにしてしまう。殺人という罪がいかに大きなものかがわかる、この作品の最初のハイライトです。単純に恐ろしいというだけではない、人間やこの世の闇の部分が混濁した、極めて夢幻的な場面です。

夫人
消えろ、忌まわしい染み。消えろったら。一つ。二つ。もう時間だわ、やらなくちゃ。地獄って陰気ねえ。何です、あなた、何です、軍人のくせに怖いの?何を怖がることがあるの?誰にわかるというの、権力に向かって罪を責める者などいません。でも、あの老人にあんなに血があるとは思わなかった。

医者
聞いたか、今のを?

夫人
ファイフの領主には妻がいた、今はどこ?この手は絶対きれいにならないのかしら。もうやめて、あなた、もうやめて。そんなにびくびくしたら何もかも台無しです。

医者
やれ、やれ。知ってはならぬことを知ってしまったな。

侍女
言ってはならぬことをお妃様がおっしゃったのです。何をご存知なのか、誰にもわかりません。

夫人
まだここに血の臭いが。アラビア中の香水をかけてもこの小さな手を甘い香りにできやしない。ああ、ああ、ああ。

シェイクスピアの作品の中でも最も印象的な場面のひとつ。古今東西数多の女優が抗えない魅力が、決して長くはないこの場面に凝縮されています。
ここで注目するべきは、台詞のレイアウトです。
前回の記事の注釈にも書きましたが、マクベス夫人のような王族の縁者の台詞は基本的に韻文で書かれます。クイーンズ・イングリッシュの舞台や映像を観たことのある方ならわかりやすいかと思いますが、実際に韻文と散文の朗読を聞き比べると、前者の方が圧倒的に格調高く響くことがわかります。王族の権力誇示という側面がより強調されるのです。
ですが、この「夢遊病の場」では勝手が違います。この場面の登場人物は夫人の侍女・彼女から報告を受けて現場に立ち会う医者・マクベス夫人の3人です。この中で韻文で話すのは王族である夫人だけで、格下の侍女と医者は散文で話すのが通例です。ところがレイアウトを見ていただければわかる通り、ここではマクベス夫人の台詞も散文で書かれています。夢遊病に苦しみ、ひたすら目に見えない筈の血の痕を消そうとし続けている間、夫人は最初から最後まで、通常なら王族が口にすることのない口調で話しています。これは、マクベス夫人が大罪を犯したことを聴覚的要素で表現しています。殺人に関わった人間に、王族でいる資格などない、名も無い庶民と同列の地位に落ちたことを効果的に表しているのです。事実、侍女と医者には固有名詞がありませんし、皮肉にも、マクベス夫人も王族でありながらそもそも名前が与えられていません。
「この病気は私の手には負えない。だが、夢遊病にかかっても安らかにベッドで死んだ例もある」夫人の奇行を目にして慰め半分に医者が口にするこの台詞が、なんと虚ろに響くことでしょう。

名画-min

ジョン・シンガー・サージェント「マクベス夫人に扮したエレン・テリー」
1889年、テイトギャラリー(英)