ドラマ「マスグレーヴ家の儀式書」と死生観 

〜眠れぬ夜はご用心③

※このシリーズは物語の核心部分に触れていることがあります。作品を未読・未見の方はご注意ください。

歴史ある屋敷にふさわしい重々しい銅鑼の音が鳴り響きます。晩餐の始まりを知らせる音です。ワトスンはすでに正装に着替え、ホームズを部屋まで迎えにやってきます。ですが当の本人は洗面所にでもいるのか扉に映るシルエットが見えるのみ、相変わらず咳と格闘しているようです。こっそり入っておどかそうと茶目っ気たっぷりに部屋に入るワトスンの目に入ったのは、注射器と薬瓶…。
ホームズが薬物依存であったことは原作にも明記されていることで、且つヴィクトリア朝のイギリスでは合法でした。事件がなく退屈すると使用する傾向があったようで、実際ホームズはこの後の晩餐で異様にハイになっています。ワトスンは当然医者として彼の身体を心配しており、この癖を何年もかけてやめさせました。
晩餐が終わり皆リラックスしている中、ホームズは相変わらず毛布を被り暖炉の前を離れません。ワトスンとマスグレーブは気が合うようで実に親しげに話し合っています。マスグレーブもワトスンならと気を許しているのか、屋敷の中にある謂れのある品々を紹介していますが、側で聞き耳を立てていたブラントンから(「先祖の時代の長靴だ」と説明するマスグレーブに)「弟君のサー・ロナルドのものです」と訂正されてなんとも居心地が悪い様子です。嫌味半分で「我が家の歴史に関する彼の博識には頭が下がる」と言っては見るものの、ブラントンはそれすら煩わしいとばかりに何を言うでもなく受け流します(一体どちらが主人なのか!)。
暖炉の前には紳士が3人。客がいるにも関わらず悠々と退出する執事の話で持ちきりです。マスグレーブに至っては、「ハールストンの執事を、来る客全てが覚えてくれる」となんとも言えない表情で皮肉る様子が泣けます。
ですが、そんなブラントンにも欠点があるとマスグレーブは言います。その欠点とは、なんと「女たらし(原語:ドンファン)だ」というもの!
もともとブラントンには妻がいましたが若くして亡くなり、男やもめになった彼の周りで女性関係のトラブルがひっきりなしだったのです。ブラントンを演じたのはジェームズ・ヘイゼルダイン。独特の風貌に似つかわしくない甘い声と滑らかに舌の上を滑るクイーンズ・イングリッシュはとても魅力的で、確かにこれならば数多の女性が虜になってしまうというくらい説得力のあるものです。そして、こういう声のイイ男は、得てして弁舌の才があるもの。女が夢中になるのがわかります。
そんな女たらしが数ヶ月前に身を固める決意をしたのか、同じ屋敷でメイドをしているレイチェル・ハウエルズと婚約をします。にも関わらず、ブラントンはさして日も置かずレイチェルを捨て、森番のトレガリスの娘のジャネットと良い仲になり、彼女には見向きもしなくなったのです。捨てられたレイチェルは気性が激しいウェールズ人でしたが、今や亡霊のように屋敷をうろうろ彷徨っています。
女たらしだけれどずば抜けて賢い頭脳を持つ執事と、捨てられた婚約者のメイドと、若い身体が武器の森番の娘ーー平凡な三角関係のようではありますが、これで役者は全て出揃いました。物語は、この日の夜が明けてから起こりますーー。

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左から順にワトスン、ブラントン、サー・レジナルド・マスグレーブ(演:マイケル・カルバー)、ホームズ