ドラマ「マスグレーヴ家の儀式書」と死生観 

〜眠れぬ夜はご用心⑩

※このシリーズは物語の核心部分に触れていることがあります。作品を未読・未見の方はご注意ください。

さて、グラナダ版「マスグレーブ家の儀式書」について見てきましたが、ドラマ中の何人かの登場人物に眠り、もしくは不眠症にまつわる描写がされていたかと思います。これまでのシリーズ同様、この作品も、眠りと死の親和性の高さがドラマの中で非常に高い効果をもたらしています。具体的に見ていきましょう(すでにシリーズ④シリーズ⑤で指摘していますので、こちらももう一度読んでみてください)。
まず、不眠症と思しき症状が出ている登場人物はこの3人です。

①サー・レジナルド・マスグレーブ
②リチャード・ブラントン
③レイチェル・ハウエルズ

ちなみに、事件翌日のホームズがひたすら眠そうにしているのは、この三者が眠れていない状態を強調するための演出と思われます。
さて、三者それぞれ、描写はどのようになっているでしょうか?
①マスグレーブは明確に描かれていて、「食後にブラックコーヒーを飲んだために眠れなかった」と自分で証言しています。実際、マスグレーブがコーヒーを飲まなければ夜中に書斎に行くことはなく、儀式書を確認していたブラントンももっと周到に宝を盗み出せたことは確かです(結末がどのみち同じだったであろうとは言え)。その意味では、間接的にブラントンを殺したのはマスグレーブであると捉えることもでき、この眠れない症状が不眠症を匂わせ遠回しの殺人という行為を指し示していると言えます。
②事件が起ったこの日、ブラントンは一睡もしていません。ホームズがブラントンの部屋を調査した際、「眠った形跡が見られない」と断言しているからです。眠れなかったブラントンが殺したのは間違いなくレイチェルです。ブラントンが唆さなければ、追い詰められたレイチェルは命を落とさずにすみました。ただ、この場合も遅かれ早かれ、彼女がさらに精神を病んで同じ結果になったかもわかりません。
③レイチェルが眠れなかったのは事件の翌日、失踪した日の晩です。ドラマ中のレイチェルはワトスンが手配した看護婦がうたた寝をしている中、爛々とした目つきでベッドから起き上がっており、その日全く眠れていなかったのは明らかです。では、彼女は誰を殺したのでしょうか?
このドラマはブラントンの失踪・儀式書の謎・レイチェルの失踪・ブラントンの死の真相という4つの事件が絡み合っています。そしてこの中で唯一解決しなかったのが、ブラントンの死の真相です。結末部分でワトスンが語っている通り、レイチェルが真相を具体的に語れずに死んでしまったために、事故か殺人かという両方の可能性を残したままとなっています。
しかし、残酷ではありますが、これが殺人であったなら、結末はよりドラマチックになります。もし、真相が殺人であった場合、どのような演出が判断の決め手となるのでしょうか?
レイチェルは事件の翌日、マスグレーブからブラントンへの言伝を命じられたとき「彼は去りました(Butler is gone)」と言っています。この原語の台詞に注目する必要があります。「gone」は日本語訳の通り「去った」という意味があるのと同時に、「死んだ」ことを婉曲的に言うときに使う単語だからです。なんの変哲もない状態で聞けばこの「gone」は前者の意味でとれますが、真相を知っているレイチェルの立場なら間違いなく後者の意味で使ったはずです。
しかもこの台詞は、ドラマ中非常に重要な役割を担っているあるものと絶妙に呼応しています。儀式書の冒頭を思い出してください。

たがものなりしか
<Whoes was it?>
去りし人のもの
<His who is gone.

王冠を組み立てる場面でホームズが儀式書を再確認しているとき、この「去りし人」は「処刑されたチャールズ一世」を指していると断言しています。この「gone」が死の文語的表現として使われていることによって、レイチェルのこの台詞に対応していることへの根拠になっていると言えるのです。
ドラマ中の演出は非常に巧みで、石蓋が閉まってしまう一瞬前、ブラントンの視点からレイチェルを見上げるカメラワークに切り替わり、レイチェルがブラントンに全く手を差し伸べず傍観しているさまが一瞬だけ映ります。しかし手元はぼやけており、実際につっかえ棒にしていた薪をレイチェルが外したのか弾みで外れたのかが曖昧に映るように計算されています。映像だけでは、レイチェルは黒とも白とも言える状態のままです。
彼女の罪は、彼女自身の言葉と、ふたりの人間の死によって解読された儀式書によって明らかになります。罪を購った彼女に与えられた恩恵が、美しき水死体となることだったのは果たして幸せだったのか…。
血まみれなスチュアート王家の呪いだったかのようなこの事件。思えば、チャールズ一世も非業の死を遂げた王でした。

angel-1502351_1920-min