*番外編*チャールズ一世の運命・前編 

〜首なし国王の血の呪い①

※「儀式書シリーズ」の核心部分に触れていることがあります。作品や記事を未読・未見の方はご注意ください。

ここからは番外編です。
ドラマ中何度も言及された、登場しない重要人物チャールズ一世。この王について語るためには、彼をはじめとした3人の王侯貴族について語る必要があります。恐ろしいことに、3人に共通しているのは首がないこと。なぜ、彼らは身分が高かったにも関わらず、首を切られなければならなかったのか。その不思議な因縁の数々を解説して、この「儀式書シリーズ」を終えたいと思います。
チャールズ一世が名を残した理由は、彼の死に方にあります。清教徒革命を終わらせるために、オリバー・クロムウェルにより斬首という方法で処刑されるという極めてドラマティックな最期があったればこそ、この傲慢な王の名は歴史に刻まれました。
清教徒革命(ピューリタン革命)を簡単に説明すると、王政に反旗を翻した大規模な市民革命のことです。チャールズ一世はもともとスコットランド・ステュアート朝の血を引いており、父親の死に伴い同時にイングランド・アイルランド王の称号を引き継ぎました。頭の先から足の爪先まで王族の血を引いていたチャールズ一世は父王に倣い、王権神授説(王の権利は神より与えられし聖なるもので、人民不可侵の領域であるという凄まじい考え)にのっとった政治を敷きます。国内の*清教徒やスコットランド・アイルランド人への弾圧が過激化したことにより、反発が大規模なものとなっていき革命が本格化していきました。
革命の指導者はオリバー・クロムウェル。政治家としてだけでなく軍人としてのキャリアも築いていたクロムウェルの手により王党派は壊滅状態となり、クロムウェルが護国卿に就任、イギリスは史上初めて共和制政治が執られることになりました。

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ロバート・ウォーカー「オリバー・クロムウェルの肖像画」
1649年頃、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(英)

しかし、実質はクロムウェルの軍事独裁政権の様相を呈しており、次第にチャールズ一世の息子チャールズ二世を王にという王政復古の動きが強くなっていきます。様々な派閥が入り乱れていたイギリスをまとめるための独裁政権でしたが、皮肉にも人々の目にはチャールズ一世の専制政治と同じように映ったのです。
過労が祟ったのか、クロムウェルはインフルエンザに罹患しそのまま死亡。死後、権限は息子リチャードに引き継がれましたが、凡庸な息子の手に負えず議会は解散。結局、イギリスの共和制政治は、わずか11年の間しか続きませんでした。間も無く王政復古の揺り戻しが本格化し、チャールズ二世が即位することとなるのです(ドラマ中、ホームズが旧友に「サー・ラルフ・マスグレーブは王党派だったか」と尋ねる場面があります。サー・ラルフは間違いなく、王政復古時に粉骨砕身で王に仕えていたのでしょう)。
いくら虐げられてきた人々が王族を憎んでいたとしても、王権神授説を後ろ盾にした王を神聖視する精神的な崇拝の在り方を簡単に否定することはできません。クロムウェルの政治家としての手腕が一流ではなかった理由のひとつは、王を斬首したことに間違いありません。王権という堅牢強固な伝統を、あまりにも軽んじていたことが彼の犯した誤りでした。
悲劇的な最後を迎えたチャールズ一世。王族としても、人間としても難物極まりない人物でしたが、政略結婚の相手のヘンリエッタのことは終生深く愛していたといい、妾がいるのが当たり前の王族の中では珍しい男だったと言われています。

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アンソニー・ヴァン・ダイク「チャールズ一世とヘンリエッタ・マリアと2人の子供」
1631〜1632年頃、ロイヤルコレクション(英王室)

*「清教徒=ピューリタン」はイングランド国教会の改革を唱えたプロテスタント勢力のことですが、純粋なプロテスタントとは異なり、カトリック的要素が残った国教会を改革するという独自の立場を主張していました。