*番外編*チャールズ一世の運命・後編 

〜首なし国王の血の呪い②

※「儀式書シリーズ」の核心部分に触れていることがあります。作品や記事を未読・未見の方はご注意ください。

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アンソニー・ヴァン・ダイク「狩場のチャールズ一世」
1635年頃、ルーブル美術館(仏)

凡庸な為政者が歴史に名を残す手段はふたつあります。首を斬られるか、優れた宮廷画家に肖像画を描かせるかーー。どちらか片方を満たしていれば、大概名前は残るもの。
ですが意外なことに、ふたつの条件を満たしている為政者はなかなかいません。
たとえば、フェリペ四世。ベラスケスという不世出の画家を手元に置くことに恵まれましたが、本人は政治の才は微塵もなく、外見にも恵まれず内実も乏しい極めて凡庸な人間。画家の手による肖像画がなければ、間違いなく我々がその名を知ることはありませんでした。
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ディエゴ・ベラスケス 「黒衣のフェリペ四世」
1626〜28年、プラド美術館(西)

一方、凡庸な女から悲劇の王妃へと劇的な変容を遂げた*マリー・アントワネットに配された宮廷画家は、女流画家ヴィジェ=ルブラン。何かにつけて「男社会」と言われるこの時代に、歴史画家として王立アカデミーに迎えられた幸運な女性でしたが、真実をあぶり出すほどの描写力には恵まれず、王族のうわべを描出するだけという典型的な宮廷画家の仕事しか残せずじまいでした。彼女の描いたアントワネットの肖像画からは、革命に翻弄されたオーストリアの皇女が、運命を甘受しギロチン台に首を差し出す血生臭い未来は欠片も感じられません。
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エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブラン「モスリンのシュミーズ・ドレスを着た王妃マリー・アントワネット」
1783年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー(米)

本題のチャールズ一世はと言えば、稀有なことにふたつの条件を兼ね備えていました。彼の肖像画と言えば、ほぼ100%アンソニー・ヴァン・ダイクの手によるものです。天才画家ルーベンスに指事したことのあるこの画家は、王単独の肖像画だけでなく王の家族の絵も多く手がけています。中でも最も有名なのは、この「狩場のチャールズ一世」です。
狩りという極めてプライベートなシーンを描いていますが、さすが主役が国王なだけあって衣装は上質な素材のものばかり。右手は杖をつき、外した手袋は左手に握られ肘を露骨に鑑賞者に突きつけ、「こちらに来るな」というメッセージが明確です。傲慢なのは仕草だけでなく(王権神授説にのっとれば当然の解釈ではありますが)、冷酷な目つきでこちらを見下ろす表情にも如実に現れています。国王は、下々のものに頭を下げてはならぬもの。彼らには庶民という概念すら存在しなかったのです。
チャールズ一世の外見的特徴は、この山羊髭と長い髪、面長な顔です。ドラマ「マスグレーブの儀式書」で王を演じたマイケル・カルバーの風貌があまりにもそっくりなのに驚きます。
この高く上げられた頭が地面に落とされると、歴史を学んだ我々は知っています。ですが、描かれる側の国王と、描いた側の画家は血に塗れた未来を知りません。にも関わらず、この作品には何か言い知れぬ不穏な空気が漂っています。名作とは、未来を無意識に先取りしてしまうもの。その行く先が幸運であれ、不幸であれ…。
考えてみれば、ブラントンの死因は窒息。首こそ繋がっていましたが、どうもニュアンスを考えると無関係とは思えないのです。

トップ画像:アンソニー・ヴァン・ダイク「チャールズ一世肖像画」
1635年、ナショナル・ポートレート・ギャラリー(英)

*マリー・アントワネットは為政者ではありませんでしたが、フランス国王妃という立場に鑑み比較対象として採り上げました。