*番外編*メアリー・ステュアートの運命・前編(上) 

〜首なし国王の血の呪い④

悲劇のヒロインは、誕生の瞬間からドラマチックな運命を背負っていました。
16世紀半ば、時のスコットランド王はジェームズ五世。対するイングランドはヘンリー八世の治世。ふたりの共通点は、百年戦争の後のイングランドに和平をもたらした(ことになっている)ヘンリー七世。彼の娘の子ども=孫がジェームズ五世、息子がヘンリー八世、ふたりは一世代違いの従兄弟にあたります。このふたりの国王には、それぞれ女の子がいました。このふたりの女王こそが、生涯因縁めいたつながりに翻弄され続けたメアリー・ステュアートとエリザベス一世です。
メアリーとエリザベスは9歳違い。ふたりの人生のスタートはあまりにも異なっていました。メアリーは生まれて6日で父王の死によりスコットランド王に即位(先に産まれていた男児2人は夭折していたため、王位継承者は彼女のみ)、スコットランドとイングランドとの併合を狙っていたヘンリー八世の手が伸びる前に母マリー・ド・ギーズによってフランスに逃れ、統治者アンリ二世の息子フランソワの婚約者(次期フランス王妃の座につく最短の道!)という強力な立場を手に入れ、以後12年間に渡ってフランス宮廷に腰を据え続けました。
当時のフランス宮廷は、フランス史の中でも群を抜いて華やかな時代だったと言われています。スコットランド生まれのメアリーには、優雅の極みを享受し得るフランス宮廷はあまりにも眩しく輝く楽園でした。渡仏した時点で、周りに敵対する人間はいません。彼女が皇太子妃として迎えられるための前提条件は、メアリーにスコットランド女王の地位を保持させていること(でなければ、彼女を皇太子妃に迎えるメリットがありません)。母方の親戚ギーズ家の人々が何かと(目を光らせつつ)世話を焼いてくれたおかげで不自由もしません。容貌も美しく、賢いメアリーは自分の価値をさらに高めようとフランス語をはじめとした諸外国語を習得し、さらに詩吟・舞踏・刺繍・馬術までこなす、まさに貴婦人の鑑としてフランス宮廷でも一際注目される存在へとのぼりつめます。

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フランソワ・クルーエ「若きメアリー・ステュアート」
1558年、フランス国立図書館(仏)

*参考文献:中野京子『残酷な王と悲しみの王妃』集英社e文庫、2014年7月(同年前月発行の同名書籍第3刷底本)