*番外編*メアリー・ステュアートの運命・後編(下) 

〜首なし国王の血の呪い⑦

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ロバート・ハードマン「スコットランド女王・メアリーの処刑」
1867年、ケルヴィングローブ美術館及び博物館(スコットランド)

当初、幽閉者とはいえ、対象者がいちスコットランド女王とあって諸外国を巻き込んだ動き(メアリーとの結婚)もありましたがどの国もことごとく失敗。息子のジェームズは奔放で傲慢な母に良い思いを抱いておらず(かつ遊び好きだったようで…)、危険を冒してまで母を助けようとは微塵も思えなかったようです。政治の矢面に立っていたエリザベスには煩わしいことが多かったでしょうが、閉じ込められたメアリーには、この18年という歳月は地獄そのものでした。
結局、ある貴族が企てたエリザベス暗殺計画が露見したことにより、メアリーの幽閉生活に終止符が打たれます。計画に関与していたことが明らかになったための反逆罪でした(陰謀だった可能性もなきにしも…)。
ふたりの従姉妹は意外にも、一度も顔を合わせたことがありません。亡命前まで頻繁に交わしていた手紙の上でお互いに「姉上様」「我が妹」と親しげに呼び合っていますが、実際はお互いの本当の顔を知ることなく終わりました。この劇的な結びつきは多くの表現者の「もしふたりが出会っていたら」というifを想像させる欲を駆り立てるようで、後世多くの舞台や映画が作られています。
メアリー・ステュアートは、最後までスコットランド女王として処刑されました。ギロチンは発明されていませんから、当然、斧による斬首刑です。メアリーは若い頃からファッションセンスも抜群だったようで、白のヴェールと革靴、豪奢な黒ずくめの出で立ちで処刑台に現れたかと思いきや、処刑直前に黒いマントを脱ぎ下に纏っていた真っ赤なドレスを披露して民衆を驚かせたという記録が残っています。ところが驚いたのは処刑人も同じで、動揺した挙句何度も仕損じたという何ともおぞましい結末だったようですが…。
異国の地で首を切られた悲劇の女王。折り合いの悪かった息子はエリザベス一世の遺言により無事イングランド国王ジェームズ一世として即位し、母の後を継いでスコットランド王ジェームズ六世となりました(メアリーが頑なに王位継承を拒んでスコットランドに置き去りにした、最初の夫との間に生まれた息子)。国王一座のパトロンとなり、彼の庇護のもとシェイクスピアの多くの名作が生まれることとなりますが、流石の彼もこんな結末は想像しなかったでしょう。息子のチャールズが母と同じように首を切られて処刑されるなどということは。
しかも、首を切られた国王の肖像を持っていたのは、やはり首を切られる運命にあったフランス宮廷の公式寵姫。フランスに未練のあったメアリー・ステュアートの怨念が呼び寄せたのだとしたら、何と恐ろしい因果なのか…。

*参考文献:中野京子『残酷な王と悲しみの王妃』集英社e文庫、2014年7月(同年前月発行の同名書籍第3刷底本)

トップ画像はメアリー・ステュアートのものと言われているデスマスク。愛らしく穏やかな顔立ちからは、とても処刑に手落ちがあったとは思えないほどです。