シリーズ「死と乙女」と死生観・絵画編(4) 

〜死してなお女は美しく②

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エゴン・シーレ「死と乙女」
1915年、オーストリア美術館

20世紀の「死と乙女」は、死神の描写のみならず、乙女の描き方も大きく変化します。
色使い、人物造型、独特の筆致ーー初見でもすぐにエゴン・シーレの作品だとわかります。画面中央には若い男女がふたり。男は黒い服を着ており死の香りを、女は華やかな赤いドレスを身に纏い生の雰囲気を纏っており対象的です。ふたりの背後には純白のシーツが流れています。これはふたりの新床なのでしょうか。
男は作者のシーレ本人、女は当時シーレのモデルを務めていたヴァリ・ノイツェルです。ヴァリは長い間献身的にシーレの作品のモデルを務めていましたが、シーレが結婚を決めるにあたり彼の元を去っていきます(モデルは当時娼婦以下の職業と蔑まれており、中産階級出身のシーレには到底身分が釣り合わないという理由でヴァリは結婚相手の候補にすらなりませんでした)。この絵は、ヴァリがシーレの元を去る前に描かれたものです。
自分を死神に擬えたシーレの目が驚くあまり見開かれているのに対し、彼を抱きしめようとしているヴァリはじっとこちらを見つめています。女は何を思い、何を感じてこちらを見つめ、死神と抱き合っているのか。ヴァリの言葉は記録としてほぼ全く残っていないため、真実は誰にもわかりません(ヴァリはこの後従軍看護婦に志願し戦線で死亡、まもなくシーレも妊娠中の妻と共にスペイン風邪に罹患し死亡しました)。
これまで様々な「死と乙女」を観てきましたが、シーレの「死と乙女」ほど、乙女が死を従容と受け入れている作品はありません。バルドゥング・グリーンの乙女は死神から逃れようとしながらも悲しげに諦めつつあり、フュースリの乙女は無意識下に人外の生き物に魅入られており、ミレーの乙女は死と官能のあわいを漂いながら死の気配を感じているかどうかも定かではありません。
死神の姿も大きく変容しています。蘇った死者から異形の生き物、存在しているのかが曖昧な気配、そして最後は人間の姿へ。死は外見のみにあらず、心が死んだ時にこそ死神へと変容するのでしょうか。
著名な精神科医エリザベス・キューブラー=ロスは「死の受容」に関するプロセスを五段階に定義しています。最初は死への恐怖から現状を否認し抵抗するが、次第に落ち着き最後は受容へ至るという精神状況の変化のことです*。シーレの「死と乙女」は、まさにこの最終段階に当たります。人が、死を前にして必ず抱くであろう恐怖を超越し、自らの運命として受け入れる。恐ろしいほどの達観の境地ですが、その状態に至っているのが若き乙女であるのがあまりにも痛々しくてなりません。
戦場に赴いたヴァリの表情がもしこの絵の通りだとしたら、シーレは期せずして彼女の死の運命を先取りしたことになります。そして彼女の死を経て、己も死んでいく。まだ知らぬはずの死の気配が彼の身体を通りすぎ、それに慄いたシーレはふっと目を見開いて驚愕してしまったのかもしれません、わけもわからずに。
シーレとヴァリ。はたしてどちらが死神だったのかーー。

*「死の受容」の中間の三段階は「怒り」「取引」「抑鬱」としていますが、必ずしもこの通りには起こらないという前提に基づいた定義となっています。