映画「ゴッホ〜最期の手紙〜」と死生観

死者を弔う旅路の果てに②

※このシリーズは物語の核心部分に触れていることがあります。作品を未読・未見の方はご注意ください。

パリについたアルマンがまず向かったのはとある画材店。ここは、フィンセントをはじめとした印象派や後期印象派の画家たちを支えていた影の功労者ジュリアン・フランソワ・タンギー・通称タンギー爺さんの店です(タンギーは画材を柔軟な方法で彼らに販売していただけではなく、その芸術性に深く理解を示していた画商でもありました)。テオの住所がわからない今となっては、交流のあったタンギーに話を聞いた方が早いと思ったからでした。
しかし、タンギーの口からは信じられない事実が告げられます。フィンセントが死んで半年後、テオも死んだというのです。予想だにしない事態に、アルマンはフィンセントの最期を尋ねます。タンギーは、フィンセントはオーヴェールの畑で拳銃自殺をしたのだと言い、続けてフィンセントの不幸な人生を物語りはじめました。
両親から充分な愛情を受けることができず、仕事も転々として長続きしない、まさに「落第者」の烙印を押されたフィンセントは、28歳で初めて絵筆をとりました。それまで芸術とは無縁の生活を送ってきた彼は、神の啓示を受けたかのごとく凄まじい勢いで貪欲に絵を描き続けます。時代が芸術の爛熟期だったこともあり、モネ、ロートレック、シニャック、マネといった錚々たるメンバーの中で必死に自らの画風を確立していきました。彼らは皆、野心を持ちながらパリで活動していましたが、タンギー曰くフィンセントにとって「パリは通過点」に過ぎませんでした。
フィンセントがパリを去ってから2年後、ゴーギャンとの共同生活とその破綻を経て、サン=レミの病院で完治したのちにふたりは再開しましたが、それが最期でした。タンギーは、フィンセントの周囲の人物の中でも葬儀に参加した貴重な人物です。
オーヴェールでフィンセントの主治医をしていたのはガシェ医師。タンギーは最後に「フィンセントの死については彼に聞いたらいい。(中略)パリでゴッホ兄弟はもはや亡霊だよ。あいにくだが、この手紙は父上に返すしかないだが」と伝えますが、次第に自分が抱いていたフィンセントとの違いに疑問を抱き始めたアルマンはさらにパリの先、フィンセントの最期の地となったオーヴェールへ向かいます。
そしてこの時から、アルマンは父ジョゼフに手紙を書くようになります。まるで、フィンセントがテオにそうしたようにーー。

父さんへ。
どうやら僕の旅は続くようだ。
残念だがテオは他界していた。だから別の受取人を探す。
オーヴェールの村に、手紙を託すのにふさわしい医者がいるんだ。これから行ってくるよ。
僕のボスにはうまいこと言っておいてくれ。

Van Gogh Documentary To Be First Completely Painted Feature Film Ever-min

タンギー爺さん(演:ジョン・セッションズ)

Van_Gogh_-_Portrait_of_Pere_Tanguy_1887-8-min

フィンセント・ファン・ゴッホ「タンギー爺さん」
1887年、ロダン美術館(仏)