映画「ゴッホ〜最期の手紙〜」と死生観

死者を弔う旅路の果てに⑥

※このシリーズは物語の核心部分に触れていることがあります。作品を未読・未見の方はご注意ください。

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フィンセント・ファン・ゴッホ「カラスの群れ飛ぶ麦畑」
1890年、ファンゴッホ美術館(蘭、アムステルダム)

夜が明けると、アルマンは椅子を一脚持って宿を飛び出し畑へ向かいました。フィンセントが銃で自分を打ったという、現場の畑です。証言や現象にあまりにも矛盾が生じているこの状態を、父に手紙を書きながらアルマンなりに推理しています。

父さんへ
まだ医者に会えないでいる。彼の家の家政婦か娘に託してもよかったんだが…あの家でフィンセントに何かがあったんだと思う。そう確信している。そのことについて医者に尋ねたい。
自殺したあの日にフィンセントが歩いた道を僕も辿ってみる。聞いた話が全部矛盾するんだ。僕の身にも妙なことが起きている。心配しないで、きっとなんとかなるだろう。
ここの人たちは彼の身に起きたことに神経質になっていて、みんな違う話をするんだ。
タンギー爺さんは彼が畑で自分を撃ったと言ってた。宿の娘もそう言っている。
でも畑から宿までは、致命傷を負って歩くには遠すぎる。それに本気で自殺するつもりだったなら、なぜ再び銃を拾って撃たなかったのか。
ーー気が変わったのか。やはり生きたいと、思ったのか。

何か矛盾を解消する手がかりはないかと考えていると、またもや昨夜の少年が石を投げてきました。髪は赤毛でくしゃくしゃ。どうにも気になり、椅子を蹴倒して少年を追いかけるアルマン。畑を通り、家が建ち並ぶなかを抜け、結局昨夜少年を見失った納屋でまたも取り逃がしてしまいました。
ですが今日は、納屋の屋根葺きをしている老人がいます。納屋の持ち主である彼は少年の叔父で、「ちょっと知恵が足りんもんでね、どうか気にせんでくれ。悪気はないんだ」と弁明します(軽度の障害を抱えていたのでしょうか?)。それにしても、人をつけまわすのはあの子らしくないと言う老人は、意外にもアルマンのことを悪くは思っていないようで、酒を分けながらあの日に起こったことを話してくれました。
老人からは「納屋の中から銃声が聞こえてきた。以来甥っ子は、幽霊が出ると言っとる」と言うなんとも奇妙な証言が飛び出しました。アルマンはすかさず「畑で撃ったんじゃないんですか?」と聞き返しますが、老人によると、現場を見た人間は誰もいない上に、警察が辺りを捜索しても何も出なかったと言うのです。銃は愚か、絵や絵を描く道具も何も見つかっていない、とーー。
不意に覚えのある声が聞こえます。ルイーズです(老人はそそくさを顔を背けてしまいました)。ガシェからの伝言を携えてきた彼女にアルマンはあることを確認します。ルイーズが見た、フィンセントが仲間と神を侮辱する行いをしていた場所がまさにこの納屋の前だったことを聞き出したアルマンは、行方不明の銃ので出所も探ろうとしますが、憶測半分の「ラヴーの銃だった」と言う証言しか得られませんでした。
まだ日が高いうちに宿に戻ったアルマン。ワインで喉の渇きを潤そうとしますが、アドリーヌからひったくられ冷たくあしらわれます。ですが捜査に夢中なアルマンはそれどころではありません。フィンセントの仲間について、今はパリにいるスクレタン兄弟のうち、弟のルネが年がら年中いたずらをしており、フィンセントともよく一緒にいたと言う話をアドリーヌから聞き出し気が緩んだのか、銃の出所はこの宿だったとルイーズから聞いたと明かしてしまいます。
実際のところ、アドリーヌの父は銃を持っていましたが、村では必要ないと売ってしまっていました。結局、銃については謎のままーー。
話はここまで。アドリーヌから受け取った電報は、アルマンの解雇の知らせです。ツケ飲みの身分のアルマンは、滞在二日目にして宿を追い出されてしまいました。