映画「ゴッホ〜最期の手紙〜」と死生観

死者を弔う旅路の果てに⑨

※このシリーズは物語の核心部分に触れていることがあります。作品を未読・未見の方はご注意ください。

アルマンはアルルに帰ってきました。もう酒場にはいません。
会いにきた父ジョゼフとは、これまでとはまったく違う穏やかな雰囲気で会話をしています。職を失ったアルマンでしたが、あまり悲観はしていないようです(史実では、アルマンはこののちチュニジアに移り住み、警察官として一生を過ごしました)。
ジョゼフは星空を見上げ、自分に言い聞かせるように語ります。

でもな、大事なのは、なんのために戦うか。
ああ、ほら見てみろ。天には別の世界がある。どれだけじっと見つめていても、完全には理解できない。彼みたいだろ?
ーー間違っているよ。あの命が愚かな事故で消え去るだなんて。

ジョゼフは手紙を携えてきていました。ヨーからの手紙です。アルマンの行いに心を打たれ、ガシェから受け取った手紙の内容を書き写して送ってくれたのでした。とても美しい手紙ですーー。

画家の人生において、死というのは、全く難しいものではない。
さらに言えば、僕自身はそのことについて何も知らない。
だが星をみる度に、いつも夢想してしまう。いったい、なぜなのだろう?
我々が大空の光に手を伸ばしても、決して届かない。
もしかしたら死ぬこととは、星になることかも。年老いて安らかに死ぬのは、歩いて星へ行くことだろう。
今日はこれくらいにしてベッドへ行こう、もう夜も更けた。みんなの幸運を祈る。おやすみ。
握手を送る。
愛を、込めて。
フィンセント

結局のところ、この映画の主題のひとつであったフィンセントの死因は明らかになっていません。他殺、自殺、果ては事故死の可能性まで示唆されており、現在に至るまで決着を見ていない問題となっています。
ですが大切なことは、見る人によって、フィンセントの実像が驚くほど異なっており、同時に死の事実ですら多様性を帯びてしまっていること、そしてそれによってフィンセントが死してなお苦しんでいたということです。事実を明らかにすることだけが第一義ではないし、死者を救うことにもならない。死者が生前伝えられなかった思いを、作品を通じて聴き取ることが、こと芸術家には何よりの供養になります。しかも、フィンセントは膨大な数の手紙を残していました。それらを作品の代わりとして死者の思いを語らせたことがこの映画の白眉たる所以だと筆者は考えます。
そして最も大切なのは、アルマン・ルーランという、芸術にまったく関わりのない青年の存在です。彼は最初は気乗りをしないなかパリへ向かいます。そしてフィンセントと同じように手紙をしたためながら、フィンセントの旅路を辿り、フィンセントの人生の最期の数週間を追体験していきます。ラヴーの宿に立ち寄った時に雨が降っていましたが、フィンセントが初めて宿にきた時も同じだったとアドリーヌが証言していますし、フィンセントの泊まった部屋で意味ありげな夢を見たのもアルマンにフィンセントがのりうつっていたと解釈できます。アルマン自身の内面の変化も、この作品の見所のひとつです。この旅は、フィンセントだけでなく、アルマン自身も救った。その変化はとても困難を伴うものでしたが、だからこそ宝石のごとき輝きを放って我々に迫ってくるのです。
そして、たびたび登場していた赤毛の少年。彼は一体誰だったのでしょうか?物語に関わる登場人物のなかでも固有名詞を与えられていないのは、彼と彼の祖父のふたりだけです。さて、フィンセントの外見はどうだったでしょうか?アドリーヌはこう言っていました、悲しげな目をしており(これに対して、ルイーズは狂気を帯びていたと断言しています)、髪は赤毛だったーー。
アルマンを納屋まで導いたのはこの少年でした。孤独なフィンセントの魂が、彼の身体を借りて、アルマンを呼び寄せたのだとしたらーー。
映画は、こんな言葉で締めくくられています。短いけれど、美しい言葉です。

作品で人々を感動させ
深く 優しく感じていると言われたい

フィンセント・ファン・ゴッホ

死生観シリーズは、今回の記事をもって終了致します。来年からは、新しいシリーズがスタート致します。
これまでお読みいただきまして誠にありがとうございました。
どうぞ、新年がみなさまにとって、良い年になりますようにーー。

With A Handshake - Your Loving Vincent Art Print by Anna Kluza

フィンセント・ファン・ゴッホ(演:ロベルト・グラチーク)

Vincent_van_Gogh_-_Self-Portrait_-_Google_Art_Project

フィンセント・ファン・ゴッホ「渦巻く青い背景の中の自画像」
1889年、オルセー美術館(仏)

トップ画像:フィンセント・ファン・ゴッホ「花咲くアーモンドの木の枝」
1889年、ゴッホ美術館(蘭、アムステルダム)
テオの息子の誕生を祝って描かれたもの。テオは息子の名前を兄と同じフィンセントと名付けた。